連載「作家の流儀―横山秀夫さんに聞く」(3) ミステリーという人間賛歌 「私はずっと心の事件を書いてきた」

横山秀夫さん(撮影・共同通信=小島健一郎)

 作家の横山秀夫さんは1991年、『ルパンの消息』でサントリーミステリー大賞の最終候補に残ったのを機に、12年間勤めた上毛新聞社を辞めた。その後、『陰の季節』で松本清張賞を受けてデビューするまで7年を費やす。来し方を聞いていくうちに、創作の核にあるものに行き当たった。(共同通信=田村文)

▽得るもの多かった漫画原作の仕事

Q 新作『ノースライト』の主人公の建築士が施主に「あなた自身が住みたい家を建てて下さい」と言われたように、横山さんが「好きなように書いて」と言われたらどうですか。

A 私はずっと、好き勝手書いてきましたよ。作家デビューする前の7年間、漫画の原作を書く仕事をしていました。当時「週刊少年マガジン」は400万部以上売れていたから資金も潤沢で、原作者に5人の編集者がついた。その5人が私の目の前で原稿を読んで、それぞれ何か言う。例えばAさんの案を取り入れて直すと、Bさん、Cさん、Dさん、Eさんが「ちがーう!」って。次の日はBさんの案、次の日はCさんの案…。結局は元の原稿の近くに舞い戻って着地したりする。それをブラッシュアップして、やっと漫画家さんに渡すんです。漫画の編集者たちは、面白いものを生み出したいという情熱がすさまじくて、「小説家のなりそこない」だった私は、とことんやられました。物書きとして得るものは本当に多かったし、感謝もしていますけど、文芸のほうの編集者を紹介してあげると言われた時は丁重に断りました。あのまま小説の世界にいっても、似た状況が待っていたと思う。横山を小説家として育ててやるという話になったでしょう。だから私は、何かの賞を取って「書いてもらえますか」と頼まれる立場になるしかないと思った。それでいろんな賞に応募して、松本清張賞をいただいた。

Q 清張賞を受けた『陰の季節』でデビューしたのが1998年。『陰の季節』と『動機』、『半落ち』が直木賞候補になりました。そして『半落ち』であの問題が起きる…。

A そのあたりのことは、あまり話したくないんですよね。

Q でも、若い読者の多くは知らないことだと思うので、少しだけ付き合ってください。『半落ち』が候補になったとき、選考委員の一人が事実誤認に基づく指摘をして「受賞作なし」となった。横山さんが失望したのは、反論しても主催者側が事実を再検証しなかったことでした。私が初めて横山さんに会いに仕事場を訪ねたのは、その件を取材するためでした。あのとき書いた記事の冒頭はこうです。「『私の前で直木賞という言葉を二度と使わないでください』。一人の作家がそう告げて直木賞争奪戦の舞台を去った」。いま振り返っても、直木賞と決別してよかったと思っていますか。

A そうね…。あれで声を挙げなかったら、もう次の作品は書けなかったでしょう。だから後悔はしていません。でも当時は大いに迷ったし、未練もあった。新聞社を辞めて以降、暮らしは楽じゃなかったので、早く生活を安定させたかったし、先々のことも考えて、口をつぐもうかと考えたこともありましたよ。

Q 確かにあの時の横山さんは、すっきり割り切った、という感じではなかったですね。

A ええ、そんなに簡単じゃありませんでした。でももう、終わったことです。

横山秀夫さん(撮影・共同通信=小島健一郎)

▽心理の落差によるトリック

Q そもそも横山さんはなぜ、記者を辞めて作家になったんでしょうか。

A 『ルパンの消息』でサントリーミステリー大賞の最終選考に残ったので、辞表を出した。だけど大賞は取れずに佳作だった。それが苦難の始まりでした…っていうのが分かりやすいストーリーでしょうね。ではなぜ、小説を書き始めたのか。一つは新聞記者の仕事って、よほどの善人か悪党じゃないと極められないと思ったんです。事件担当が長かったせいもあって、紙面で犯罪者を断罪することが多かった。でも自分がそうする資格があるのかという疑問があった。私には使命感と正義感が欠けていたのかもしれません。もう一つは、新聞に対する失望感です。世の中の事象やシステムを解析したり、提案したりということでは、優れたメディアだとは思う。ただ人の心が絡んでくると弱い。取材される側になって思うのは、何かを聞かれると正直に答えるけれど、「正直」って一つじゃないということ。二つ、三つ、四つ…とあるのに、他を全部切り捨てて話している。新聞では答えた一つが「事実」となってしまう。本当はグラデーションがあったり、にじみがあったりするのに、それを言い表すことは不可能な媒体だなと思ったんです。でも私はまさに、それこそが書きたかった。

Q それができるのは、小説だと思ったということですね。

A ええ。だから私はデビュー以来ずっと、「心の事件」を書いてきました。リアルな世界に住んでいて、でも一つ見方を変えればね、自分以外のありとあらゆる人間が、私の想像の産物であるともいえる。小説では、その想像の部分を文章というリアルで構築できる。ある意味、現実よりも現実的な世界を目指せると考えています。

Q 心理を綿密に書いていく手法は強まっていますね。久しぶりに初期作品をいくつか読みましたが、こんなに変わっていたんだなと驚きました。でも変わらないところもある。例えば、登場人物はどんな仕事をしていても、仕事への矜持がありますね。

A 確かにそこは外さないですね。だけど声高に叫ぶ矜持ではない。矜持なんて、当たり前に生きていれば、ずっと同じ形で持ち続けていられるはずがないんです。削られて、壊されていく。それでも欠片というか、破片みたいなものがあって、それだけは持っている。そういう人たちを書いていきたい。

Q 小説の中でミステリーを選んだのはなぜですか。ミステリー作家である理由は?

A 元々、ミステリーが好きでした。小学生の頃、シャーロック・ホームズのシリーズを図書室で読み始めた。そこで感じた面白さと怖さ。作家として特にこだわってきたのは、心理の落差によるトリックです。例えば同じ職場で机を並べて、同じものを見ているはずの人が、実はそれぞれ全く違うものを見ていたというようなことですね。星の数ほど感性というものがあって、それぞれまったく違うから、いくら想像しても見誤るわけです。そういうオチが私の書くものには多い。別の言い方をすれば、人間なんてみんな考えることはだいたい同じだというところから始めて、最終的には人はそれぞれ全く違うというところに行き着く。それが私なりの人間賛歌なんです。あとは「真理」が書きたくて、「心理」を書いている。心理劇を突き詰めていくと真理に近づける。ミステリーは最適な手法だと思います。=続

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