連載「作家の流儀―横山秀夫さんに聞く」(4) 逃れられぬ組織の呪縛 現場を封印して描く「現場」

横山秀夫さん(撮影・共同通信=小島健一郎)

 横山秀夫さんの作品はどのようにして生みだされるのか。「組織と個人」というテーマを追求した『陰の季節』、ストーリー展開や謎解きが巧みな『第三の時効』、日航ジャンボ機墜落事故を素材に記者の使命を問う『クライマーズ・ハイ』、たった7日間しかなかった昭和64年の誘拐事件を創造した『64(ロクヨン)』…。まねのできない発想は、生みの苦しみを経て、重厚な作品に結実していた。(共同通信=田村文)

▽ゲエゲエ吐いてギブアップ

Q デビュー作『陰の季節』は、警察小説でありながら捜査畑の人が出てこない点が斬新でした。管理部門の人たちがうごめく。「組織と個人」というテーマは横山さんの真骨頂だと感じます。

A 本が出たとき、上毛新聞社を辞めてから7年たっていました。辞めてすぐの頃は組織の呪縛から逃れたという解放感を味わったのですが、でも長続きしなかった。国そのものが大きな組織体で、そこでのしがらみからは逃れられないということが骨身にしみた。組織とは、個を侵食する暴力装置である一方で、個人にスポットライトを当てて引き立たせる舞台装置でもある。組織体から離れたつもりで、実は何からも逃れられていないという状況を考えたとき、自然に出てきたテーマです。

Q 『半落ち』は警察官が、妻を殺したと言って自首してくるところから始まります。動機も経過も語るが、殺害から自首までの2日間については頑なに語ろうとしない。完全に落とせていないから「半落ち」。ベストセラーになりました。

A あれは「短編連作を」という依頼だったんですが、結果的に長編になった。最初は2、3人の語り手を登場させて事件を多角的にみるという構成にしようと思って書き始めたんです。でも書いているうちに、被疑者というのは司法のベルトコンベアーに乗せられると、心を解剖されないまま受刑者まで行き着いてしまうよなと思った。じゃあ最後の刑務所まで追いかけてみよう、と。書きたかったのは主人公の気持ちで、本人は何も語らないけれど、小説としては語ったことになるという形を作ってみたかった。

Q 『第三の時効』は連作短編集ですが、どの短編もあっと驚くどんでん返しがあって、本当に面白い。

A それまで警察小説は書いても、刑事ものを書いていなかったんですよね。自分が書くなら、やっぱり変化球を投げたいと思った。それで最初に思いついたのが『囚人のジレンマ』(『第三の時効』所収)でした。一線の刑事たちからすれば、神様のような存在である1課長が悩みまくる。できの良すぎる班長が3人もいるからです。つまり王道の刑事小説を、管理部門のフレームに入れたらどうなるか、という試みだったんです。

Q そして『クライマーズ・ハイ』です。これは横山さんが新聞記者だった時代と一番つながりの深い小説ですね。1985年の日航ジャンボ機墜落事故に材を取り、「日航全権デスク」の悠木を主人公にしました。

A 新聞社を辞めて、漫画の原作を書きながらボロボロになっていた頃に、ある出版社から、ノンフィクションで御巣鷹山のことを書かないかという話がありました。私が12年間勤めていたのは地元紙の上毛新聞で、一番長く、2カ月ほど山にいたからです。その編集者に、御巣鷹の現場で起きたことをつぶさに書きませんかと言われて、二つ返事で受けました。小説を書くと言って辞めたのに、作家デビューもできないし、お金もない。社会的に死を迎える直前みたいな気分でいたので、チャンスだと思った。本当にあさましい話ですが、520人が亡くなったあの事故を踏み台に、世に出ようと考えたんです。でも、一報を受けて8時間かけて山に登って、現場にたどり着くところまでは書けるんだけど、それから先がどうしても書けない。ゲエゲエ吐いてね。苦しんだ末にギブアップした。その時に誓ったんですよ。もしこの事故について何かを書くなら、お金に困っていない時だ、って。

▽思いが凝縮した現場雑観

Q それが、あのタイミングだったんですね。本も売れ始めて、生活も安定してきた。

A 「別冊文藝春秋」から連載の話があった時に「じゃあ日航を書きます」と宣言しました。そうは言ったものの、あの事故をフィクションにする方法がなかなか思い浮かばなかった。間違っても、元記者の自慢話になってはならない。「記録でも記憶でもない、普遍的な物語を書こう」という意気込みはあったけれど、どう書いたらいいか分からない。ふと思い付いたのが、現場を封印することでした。自分が最も知っている現場を封印する。主人公が一回も現場を踏まない小説を書こうと思ったんです。

Q 封印したからこそ、あの架空の現場雑観(現場を見たままに書く記事)が書けたんですね。思いが凝縮された文章です。

A 小説には現場の様子がほとんど出てこないだけに、あの雑観だけは、当時書かれたすべての現場雑観に勝るものでなければならないと思って書きました。書けたかどうかは分からないですが…。

Q 最後に『64(ロクヨン)』について聞かせてください。あの作品で一番好きなのは、元刑事で、今は広報官の三上義信が、最終的に広報官としてやっていこうと決心するところです。刑事のプライドにしがみついていた三上が広報官としての生き方を見つける。

A なかなかうまく書けなくて苦しんだところです。書き手の私自身が、三上の持つ刑事のプライドを捨てきれなかった。それを消していく作業に膨大な時間がかかりました。

Q 主人公の葛藤を一緒に生きたということですね。

A そうかもしれません。一度は仕上がりそうだなと思って、編集者にもそう言ったんです。でもふと嫌な予感がして、頭から読み直したら、全然駄目だった。それで「やっぱり書き直す」って告げたら、30秒ぐらい絶句されちゃって。

Q それで書き直し始めて、どれぐらいでできたんですか。

A 2年ぐらい。1年半ぐらいはぐずぐずしていたんだけど、最後にピカーンとなって、私が「ぴよぴよ」と呼んでいるものが出てきてね。

Q ぴよぴよ? 何ですか、それ。

A うん。ティンカーベルみたい感じのものかな。それが出てくると絶好調になって、最後の3週間ぐらいで何百枚も書けたんです。心身ともに追い詰められた状態じゃないと出ないことは確かなんですけど、追い詰められたからといって出るとも限らないし、まあほとんど出ないんです。

英国推理作家協会賞(ダガー賞)の授賞式に出席した横山秀夫さん=2016年10月、ロンドン(共同)

Q 「64」は海外でも評価され、英国推理作家協会賞の翻訳部門(インターナショナル・ダガー賞)の最終候補にもなりましたし、今年に入ってからはドイツ・ミステリー大賞の国際部門で第1位に選ばれるというニュースもありました。翻訳数も増えているようです。「64」が出版されたノルウェーを3月下旬、訪問されたそうですが、読者の反応はいかがでした?

A ノルウェーの人にも通じるところがある、という反応が多くて、驚くやら、嬉しいやら…。現地の推理作家とも交流できて、とても有意義な旅でした。=完

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