王貞治氏、松井秀喜氏、大谷翔平らも登場 MLB150年の歴史を凝縮した米誌特別号

米週刊誌「スポーツ・イラストレイテッド」がMLB150年の歴史を凝縮した特別号を刊行【写真:木崎英夫】

米スポーツ誌の「スポーツ・イラストレイテッド」が記念号を刊行

 マリナーズの快進撃で始まった2019年は、米国初のプロ野球チームであるシンシナティ・レッドストッキングスが誕生してから150年目の記念すべきシーズンである。ユニホームの右袖と帽子の右サイドに、赤、白、青の3色を使い、打者と白球をシルエットで描いたおなじみのバッターロゴと数字の150、そしてMLBの文字が並ぶ記念章が施されている。

 この節目を迎えて、スポーツ週刊誌の「スポーツ・イラストレイテッド」は100枚の写真とそれぞれにまつわるストーリーを紡いだ別冊「THE STORY OF Baseball IN 100 PHOTOGRAPHS」を刊行した。その表紙を飾っているのが、1950年代から1960年代にかけてヤンキース一筋に18年間プレーした当時のスター選手、ミッキー・マントルである。

 3度のリーグMVPと4度の本塁打王に輝き、スイッチヒッターで通算536本塁打は今もメジャーの最多記録として刻まれている。有資格1年目の1974年に米野球殿堂入りを果たしている偉大な打者だが、記念号のカバーには、陰鬱な顔で放り投げたヘルメットが宙に浮く瞬間を捉えたものが使われている。

 ミッキー・マントルはメジャーデビューした51年のワールドシリーズで右膝の靱帯を断裂する大怪我を負ってしまうが、不屈の精神で翌年に復活。56年のシーズンでは52本塁打、130打点、打率.353で3冠王を獲得し、その後もスター街道をひた走った。

150年の歴史が詰まった特別号の巻末に大谷翔平が登場

 しかし、19歳でメジャーデビューを果たしたマントルは33歳で迎えた65年のシーズンで衰えを露呈。かつてない低打率.255と19本塁打に終わる。件の写真は、この年のヤンキースタジアムでの試合で内野ゴロに終わりベンチに引き下がる際のカット。輝きを失った大スターの苦悩をモノクロが浮き立たせている。

 スポーツ・イラストレイテッドは1954年8月の創刊。美術評論家で写真評論家でもある伊藤俊治氏が以前、スポーツ・イラストレイテッドの功績についてこう評していたのを思い出す。

「カメラマンは単なる記録写真ではなく、スポーツそのもののもつ興奮と感情とエクスタシーを撮ることを求められ、スポーツ写真はアートの輝きを帯びるようになった」

 写真と記事によってスポーツを表現することを信条に、言葉以上の新機軸で成功を収めたのがスポーツ・イラストレイテッドだ。

 日本人選手として唯一、同誌の表紙を2度飾っているイチロー氏の記事は今回の記念号にはなく、1977年9月3日にハンク・アーロンが持つメジャーの本塁打記録を超える756号を放った王貞治氏(現ソフトバンク球団会長)が、後楽園球場のベンチ裏で素振りをするシーンを載せている。写真の日付は同年の6月7日。大記録達成の2か月前であり、米国での注目の大きさがうかがえる。

 また、メジャー1年目の春のキャンプで大勢の報道陣を従え、周囲を驚かせたヤンキースの松井秀喜氏も登場。そして巻末を締めるのが二刀流で今後も大いに注目されるエンゼルスの大谷翔平である。同誌の創刊以前の写真を盛り込み、米プロ野球草創期からの150年の足跡をたどる一冊は、メジャーリーグの来歴を見事に映し出している。(木崎英夫 / Hideo Kizaki)

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