【MLB】イチローに「『Thank You』と伝えたい」―“3000本Tシャツ”作製のファンが語る

自作のTシャツを着用しイチローを応援するジェイ・マーカスさん【写真:Getty Images】

3000安打カウントダウンTシャツを作成したマーカスさん「僕も偉業の一部になれた」

 3月21日、東京ドームで行われたアスレチックス戦を最後に、現役生活に幕を下ろしたマリナーズのイチロー外野手。メジャーで19年間、マリナーズ、ヤンキース、そしてマーリンズと3チームでプレーしたイチローは、それぞれの地でファンに愛されてきた。

 その最たる例が“イチ・メーター”で知られるエイミー・フランツさん。イチローの安打数をカウントするお手製のボードが一躍脚光を浴び、イチローが現役生活に幕を下ろした東京ドームにも応援に駆けつけた。そして、マーリンズ時代で言えば、ジェイ・マーカスさん。イチローがMLB通算3000安打達成へのカウントダウンTシャツ&“到達Tシャツ”を作成したことが話題になったと言えば、印象に残っているファンも少なからずいるのではないだろうか。

 マイアミ在住で球団創設以来のマーリンズファンであるジェイさんが、イチローの引退についての思いを語ってくれた。

――イチローを初めて知ったのはいつですか?

「イチローについてほとんど知らなかった。日本からとても素晴らしい打者がメジャーに来る、とニュースで聞いた。シアトルでプレーしていた頃、西海岸はとても遠いので、ニュースなどはほとんど見ていなかった」

――イチローの安打カウントTシャツを作ろうと思ったキッカケは?

「イチローの3000本安打Tシャツを作ろうと思った理由はいくつかある。メジャーで生涯3000本安打を打つということは偉業だからね!! 毎日試合に行くようになってから、この偉業を称えたいと思ったんだ。Tシャツを作ることで、僕もこの偉業の一部になれた。シーズンチケットを持っていたから、いつもTVに映ったしね! Tシャツのおかげで一気にメディアに露出することになったよ。毎日、このTシャツを着る人が増えたので、僕の座っているセクションにいる全員にあげ始めたんだ。イチローがヒットを打つたび、カメラは僕たちがTシャツの数字を変えるところを撮るようになった。とても楽しかったよ!!」

――イチローについて一番印象に残っていることは何ですか? また、イチローに驚かされたことがありましたら教えてください。

「イチローについて印象に残っていることは、彼の卓越した献身だね。彼は、立派なキャリア全体において最高のレベルでパフォーマンスしていた」

2016年のマーリンズ本拠地最終戦後のイベントで記念撮影を行ったジェイさん(左)とイチロー【写真:本人提供】

「マイアミともう一度契約してくれることを願っていた」

――イチローが3月21日に引退を表明しました。引退を知ったのはいつ、どこででしたか?

「僕はイチローがシーズンの開幕を日本で迎えた後、おそらくチームから解雇されるだろうという噂を冬の間中聞いていた。だからマイアミともう一度契約してくれることを願っていたんだ。でも、それは起こらなかったけれどね」

――最後の試合を見ることはできましたか? どこで見ましたか?

「開幕戦2戦とも朝5時半から家で見たよ。最後にあともう1本ヒットが欲しかったね!」

――イチローの引退について、率直なお気持ちをお聞かせください。

「もう彼がMLBの選手じゃないなんて、悲しいよ。でも、僕は同時に気づいたことがある。永遠に続くものなどないし、最終的には、その時は誰にでも来るものなんだ」

――イチローへメッセージがありましたら、ぜひお聞かせください。

「イチローに『Thank You』と伝えたいね」

 ジェイさんは2016年9月28日にイチローに自作のTシャツを手渡すことに成功している。マーリンズは毎年、本拠地でのシーズン最終戦試合終了後、30人ほどのファンに選手やコーチのサイン入りユニホームを渡すイベントを開催しているが、2016年にジェイさんはその1人に選ばれ、イチローからユニフォームを貰う機会を得た。ジェイさんはこの機を逃さず、イチローに自作のTシャツを渡すことを決め、持って行ったという。イチローに受け取ってもらった時のことを「イチローも自分と同じくらい喜んでくれたよ!」と振り返っている。

 マーリンズ戦の中継に度々登場し、日本で放送された中継や、日本のニュース番組に映った動画を今でも大切に保存しているジェイさん。イチローが3000本安打を達成するまでを残り「65」からカウントダウンしたTシャツも大切に保管しており、それらの日々は「人生で最高の時間」だったと語っている。

 マリナーズ、ヤンキース、マーリンズとメジャー19年間、3チームでプレーしたイチロー。多くのアメリカのファンを魅了し、今でも日米の懸け橋となっている。(小原由未恵 / Yumie Kohara)

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