「亡き妻のそば離れない」 熊本地震追悼式・遺族代表の増田さん 

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遺族代表で追悼の言葉を述べる増田敬典さん=14日午前10時15分ごろ、熊本市中央区(上杉勇太)

 「亡き妻のそばを離れず、ずっと南阿蘇で暮らす」-。14日に県庁であった3回目の熊本地震犠牲者追悼式。遺族代表の増田敬典さん(81)=南阿蘇村=は、夫婦で60年間寄り添った故郷で生きていく決意を、追悼の言葉に込めた。

 同村河陽の黒川地区にあった自宅は本震で倒壊。突き上げるような激しい揺れで目を覚ましたが、ベッドに寝ていた体は、家の梁[はり]の下敷きになっていた。妻フミヨさん=当時(79)=のベッドは手を伸ばせば届く距離。呼び掛けたが、フミヨさんの息遣いさえ聞こえなかった。

 数時間後、運び出されたフミヨさんは既に息絶えていた。地震がなければ、東京大に合格した孫娘の入学祝いに上京していたはずだった。「何でお母さんだけが犠牲にならなきゃいかんかったのか…」。今でも、そんな思いが込み上げる。

 2人とも黒川地区に住み、村の祭りや農作業を通じて心を引かれ合った。趣味のゴルフや旅行、畑仕事…。いつも一緒だった。息子2人に恵まれ、「料理の腕前はプロ級で、夫婦げんかも一度もしたことがなかった」。

 被災後、東京に住む次男が「一緒に暮らそう」と誘ってくれた。うれしかったが、地元の仮設団地に入り、村に残った。部屋の棚には、金婚式の時に撮ったフミヨさんの写真を使った遺影や、遺品のゴルフクラブを飾っている。今朝も遺影に「大役を務めてきます。お母さんの魂も一緒に連れて行くよ」と声を掛けた。

 自宅は年内に再建する予定だ。追悼の言葉で「微力でも村の復興の力になりたい」と、妻が愛したふるさとの再生を誓った。(堀江利雅)

※増田敬典さんの「追悼の言葉」全文は、15日の熊本日日新聞朝刊に掲載しています。