【世界から】ガザで起業するということ

復興に向けて自身が開発した資材ブロックを抱えるマジドさん

 紛争にあえぐ荒廃した危険な地―。パレスチナ自治区「ガザ」と聞いて、読者の多くがこんなイメージを思い浮かべるのではないだろうか。メディアで頻繁に登場するガザ地区といえば、相次ぐロケット弾の発射や空爆など、イスラエルとの終わりの見えない対立で苦しむ人々の姿や、国際援助団体が懸命に支援をする様子などがほとんどだ。しかし、「天井のない監獄」とも呼ばれるその地から、新たなイノベーションの息吹が生まれ始めていることはあまり知られていない。

  若者の大学進学率が高いガザやヨルダン川西岸地区で設立されたIT系などの企業が2015年時点で約140社と急増。優秀な起業家が続々と誕生しているのだ。

  中でも、若き起業家たちの期待の星となっているのが、マジド・マシュハラウィさん(25)。祖父母の代にパレスチナへの移住を余儀なくされ、「パレスチナ難民」としてガザで生まれ育ったマジドさんが開発したのは、この地区の未来を大きく変える可能性がある先駆的な製品だ。

 東京23区のおよそ6割に当たる土地に約200万人が暮らすガザは、イスラエルによる境界封鎖で、人や物資の移動が厳しく制限されている。大規模な戦闘が相次ぎ、多くの建物が破壊される被害に遭うなか、深刻化しているのは、再建に必要なセメントなどの資材不足だ。そんな中、マジドさんが着目したのは、ごみ同然の“焼却灰”だった。ガザでは、コンクリートが足りないだけでなく、その質は悪く高価。なぜなら、イスラエルが「軍事施設や地下トンネルの建設など攻撃用に転用される」としてコンクリートの材料となるセメントなどの搬入を制限しているからだ。

  一方、木材などの焼却灰は1年で6億トンも排出されているという。それは、石油を始めとする燃料の供給が不安定で価格も高騰しがちなため、身近にある木材などで火をおこすことが多いから。大学で土木工学を専攻したマジドさんは、この“逆境”に目を付け、インターネットを使って情報収集を重ね、大量に排出される灰から低コストの資材ブロックを生み出す技術の開発にこぎ着けた。

  「グリーン・ケーキ(Green cake)」と名付けたそのブロックは、環境に優しいだけでなく、軽く高い強度を誇る。しかも、低コストとあって今、ガザの復興を支える屋台骨として大きな期待と注目を浴びている。

  荒廃したガザからイノベーションを起こしたいという彼女の思いはとどまるところを知らない。燃料不足や電力供給の停止などから、1日3、4時間程度しか電気が使えないパレスチナにおいて、電力の安定受給は喫緊の課題だ。その状況を改善しようと、家庭向けの小型太陽光発電キットを開発するなど、次なるビジネスも立ち上げ始めている。

  マジドさんのビジネスの根幹にあるのは、派手で奇抜なアイデアなどでは決してない。パレスチナの復興、そしてそこに暮らす人々がより良い生活を送ることを実現することに思いを注ぐ姿勢は一貫している。

 「保守的なガザというコミュニティーで、若い女性がビジネスをすることはとても難しいけれど、私たちは自分たちがやるべきことをやらなければなりません」

 物腰柔らかで、まだあどけない表情も時折見せるマジドさんだが、生まれ育った土地、そしてそこに生きる人々を救いたいという大きな夢を描く起業家としての姿勢は、確固たるものだ。

マジドさんが試行錯誤の上、開発した資材ブロックは焼却灰を再利用して作られ、低コストで環境にも優しい

  ガザの人々が真に必要としているものを低コストで開発するそのビジネスアイデアは今、世界中のメディアからも注目を集めている。CNNやBBC、英紙ガーディアンなど大手メディアが相次いでマジドさんの特集を組んだほか、中東カタールのテレビ局・アルジャジーラでは、彼女を「未来のノーベル平和賞受賞者か」と評した。今やアラブのスタートアップ界では知らない人はいないというほど若きアイコンとなっている存在で、会員制交流サイト(SNS)などを通じて、マジドさんの活躍が多くの若者にシェアされている。

  さらに、マジドさんは去年、ガザを出ることが非常に困難な環境にもかかわらず、多くの起業家を輩出するイノベーションの震源地、米国への留学を果たした。留学中にはさまざまな分野の第一線で活躍するパイオニアたちのプレゼンテーションの場である「Ted Women 2018」にも登壇。大勢の聴衆を前に、自身が開発した大きな灰色の「グリーン・ケーキ」を一つ抱えて登場したマジドさんは、緊張したそぶりを見せることなく、堂々としたスピーチを披露した。

  「私は、パレスチナのガザから来ました。ガザで生まれ育ちました。ガザ、そこには何もありません。何もないところから、何かを生み出さなければいけないのです。ふたつの深刻な問題が存在しています、一つは建築資材の不足、そしてもう一つは電力の不足です。この二つは暮らしに必須な物です。私は今ここに、変革を起こしたくて来ています」

  そう訴えると、最後は自信に満ちた表情でパレスチナの若者らしくこう結んだ。

  「ガザの人たちのビジョンは、ただ自分たちのより良い暮らしを、そして未来を取り戻すこと。そして、それは私たちの手によって実現可能なことなのです。自由に空港へ行き、国境を越え、そして世界がどんな風に動いているのか、この目で見たいのです」

  スピーチが終わると、次々に立ち上がった聴衆から、熱のこもった盛大な拍手喝采を浴びたマジドさん。しかし、その姿勢はどこまでも謙虚だ。「未来のノーベル平和賞受賞者」とメディアなどでもてはやされたことに、静かにはにかみながら次のように話した。「本当は、担当記者の方には内緒でと言ってお話ししたのですが…。でも、事実です。私は今後、ノーベル平和賞を受賞するような開発を手掛けていきたい、それが私の歩むべき道なのです」

  およそ70年前にイスラエルが建国したことで故郷を追われてしまったパレスチナ難民とその子孫の数は、現在約530万人に及ぶと言われている。しかし、マジドさんは「パレスチナ難民」と呼ばれることに抵抗を覚えるという。支援に頼って生きざるを得なかったガザの歴史的な背景にもどかしさを抱えながら、援助を受けることで成立してきた「難民」としての暮らしから抜け出すために、あらゆる知恵を絞る。そして、自分たちの手でビジネスを起こして利益を上げ、社会に変革を起こすことで、人間としての自尊心を取り戻せるとの強い信念がそこにはある。

  大学を卒業しても就職先が乏しいパレスチナの若者たちに、希望を失うのではなく自ら起業して未来を変えてゆく気概を持って生き抜いてほしい。それが願いという彼女は力強く、次のように語る。

  「人生のゴールは自由になるということです。ガザから出た方がビジネスの可能性は広がることは十分わかっています。それでも、私はガザの起業家としてパレスチナを変えたい。私は外に助けを求めようとは思っていません。強く生き抜く術を持っている私たちを見て、自然に何か一緒にやりたい、そう思ってくれる人たちが出てくれれば、大きな変革が起こせると信じているのです」(マレーシア在住ジャーナリスト、海野麻実=共同通信特約)

マジドさんが開発した太陽光発電キットは、パレスチナの人々の暮らしを支える新たなツールとして期待を浴びている

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