のら猫カンボジアをゆく~従軍記者カメラマンの足跡をたどって~(中)

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アンコール遺跡の朝

  シェムリアップからアンコールワットを目指す。

 アンコールとは王宮、ワットとは寺院の意味。

 12世紀前半、クメール王朝のスーリヤヴァルマン2世が建立した寺院だ。

 

 それにしても何故、東南アジア好きの私が、アンコールワットにたどり着くまでこんなにも時間がかかったのだろう。

 

 1983年、ラジオでNHK市民大学講座「東南アジア世界の構造」というシリーズが放送されていた。

 京都大学の東南アジアセンター教授だった矢野暢先生による解説は興味深く、私の東南アジアへの好奇心を刺激した。

 

 このラジオ番組で、初めてアンコール遺跡の魅力に触れた。

 また、アンコールワットを再発見したジョルジュ・セデス博士や、アンコールワットを舞台にした冒険小説『王道』の作家アンドレ・マルロウのことも知るのだった。

 

 初めてアンコール遺跡を発見したのは、19世紀のフランス人探検家アンリ・ムオだと言われている。

 

 ムオは、霞みがかった密林の奥深くにそびえ立つ遺跡を発見したとき「言葉を失うほど震えた」と著書に記している。

 それは、どのような感覚だったのだろうか。

 

 さらに、報道カメラマンの一ノ瀬泰造の終焉の地がアンコールワットだったというのも私の心を動かした。

 一ノ瀬はスクープを狙い、当時ポルポト派クメールルージュが潜伏する最も危険なアンコールワットに近づいて処刑された。

 

 考古学者、探検家、報道カメラマンを魅了する密林に埋もれた遺跡。

 私の好奇心メーターは振り切れそうだった。

 

 3月22日。早朝4時。

 シェムリアップでは、幌付き三輪タクシーのトゥクトゥクを利用していたが、のら猫みたいになついてきた〝トゥクトゥク野郎〟がいた。

 アンコール遺跡は向かうその日も、真っ暗闇の道端で待ち構えていた。

 「グッモーニング、味の素!」

 どうやら日本人と見ると〝味の素〟が口癖らしいそのトゥクトゥク野郎は、味の素のおかげか今日も朝から元気だ。

 

 我々は一路チケットセンターへ。

 世界遺産でもあるアンコール遺跡を見るのは無料ではない。

 入場パスを購入しないと遺跡群のある区域には入れないのだ。

 

 まだ朝早いし、すいているだろうと甘く見た。

 いくつもある窓口は、どこも長蛇の列。こんなに朝早くから多くのひとびとが集まるアンコール遺跡、恐るべし。

 

 私は1日券を購入。37ドルとかなり高価だ。

 ドルやリエル(現地通貨)のほか、クレジットカードやユニオンペイなどでの支払いも可能。

 寝ぼけ顔のままで写真を撮られ、あっという間に「入場パス」がプリントされて、いざ出陣。

 

  ホテルからチケットセンターを経由したものの、シェムリアップ市街地からアンコールワットは7キロくらいと案外近い。

 たくさんのトゥクトゥク野郎たちがアンコールワット入り口に横付け。

 

 ここからは自分の足で歩く。

 外はまだ暗い。

 暗闇の中、密林をみんな一斉に同じ方向へ歩いている。

 遺跡は堀に囲まれていて、長い橋がかかっていた。これは工事用の浮き橋で、歩いていると足がおぼつかない。

 ふわふわと暗闇の中を別世界に運ばれてゆく気分だった。

 

 アンコールワットは、東西約1・5キロ、南北約1・3キロ。

 結構長い。西塔門をくぐると、東の空が白ばみはじめ、いよいよそれらしい建物らしき遺跡が見えてきた。

 なんだろう、このなんとも言えぬ穏やかで平和な感じ。

 

 朝日を眺めるためなのか、皆が鈴なりになって遺跡の石積みに座っている。

 こんな場所に腰を下ろして朝日を拝むなんて、予想もしていなかった。

 なんて素晴らしい世界!

  

経蔵からアンコールワットを望むひとびと

 そこで日の出の時刻まで待つ。

 大勢のひとびとが同じ方角を向きながら、思い思いに好きな場所に座って日の出を待っているこの情景。

 遥か昔から宇宙と交信し続けている特別な場所といった雰囲気が漂っている。

そんな場所で日の出を待っているだけで、過去に遡って厳かな儀式に参加するような気分だった。

 

 日の出は(正確な時刻は忘れてしまったが)6時過ぎ。

 しらじらと夜が明け、うっすらと光が差してくる。

 その光の方向へ向かって、皆一様にシャッターを切ったり抱き合ったり、しみじみしたり。

 彼らの姿は、もはや国も文化も超越したホモ・サピエンスそのものだった。 

 「2001年宇宙の旅」で描かれた、人類の夜明けのような………。

 それは、とっても不思議な光景だった。

 

 それにしても丸い太陽はどこだ。

 まだ姿を現さない太陽の姿を拝もうと、私はぞろぞろと本殿の中へ入ってゆく人たちについて行った。

  

魅惑のアンコールワット第三回廊の中央塔へ

 さて、早速本殿に潜入。

 あちこちにあるレリーフや光と影の回廊を見てまわり、見つめたり惚れ惚れしたり。

 

 いろんなひとびとと混じりながら目指すは第3回廊。

 ここからは入場制限があった。

 一回で入れるのは100人くらいのようだ。朝早くても20分くらいは並んだだろうか。

 

 列に並んでいる間、ガイドブックをペラペラめくっていたのだが、そこには驚くべきことが書かれていた、

 なんと、年に2回、春分と秋分の日に、アンコールワットの真ん中の塔の後ろから真上に太陽が昇るというではないか!

 

 それは春分の日から3日間だけだそうで、なんと私が訪れたのは春の中日にあたる3月22日だった。これにはびっくり仰天。知らずにアンコールへ来たなんて奇跡的すぎる!

 

 いささか鼻息荒く興奮気味に、第3回廊の中心にある塔に登る。

 マヤのピラミッドもかなり急勾配だったが、ここの塔もかなりの急勾配で、その高さ12メートル。

 足は浮腫みでパンパンだったが、もうそれどころではない。

 這いつくばって無我夢中で登ると、絶景が待っていた。

 かつて王しか眺めることのできなかった場所からの眺め。

 

 金色の朝日に照らされて参道を歩くひとびとや西塔門を見ている時だった。

 背中が猛烈に暖かく感じてくるりと振り向くと、私の顔めがけて金色の光を放つ太陽があった。

 

 「あ……」

 私はただ茫然と、その光を浴びるままにしていた。

 

 なんと気持ちのよいこと。

 とても懐かしいような暖かさ。

 生まれたばかりの赤子が感じるような、この世で初めての光。

 いやまさか、そんな記憶などあるはずがない。

 

 生まれた瞬間から、ずっとそんな宇宙の旅をしているような。

 そして今、初めて宇宙に触れたような実感。

 私は、母親のお腹の中にいる胎児になった気分だった。

  

まさに「あ……」の瞬間

 第3回廊を降り、西塔門のあたりまで戻ると、背景には太陽が真ん中の塔の上にぽっかり昇っていた。

 やや右側ではあるものの、それは確かに真ん中だった。

 アンコールの建築物は全て正面が東向きなのに、アンコールワットだけは西向きなのだ。

 つまり、最も神聖な太陽が昇る春分と秋分の日のときに、塔の真後ろから真上に昇る太陽を拝むことができる構造になっている。

 

 私はアンコールの建築が緻密な宇宙観とともにあることを理屈ではなく、体で実感させられたのだった。

 まるで、生きたまま死後の世界を垣間見たような不思議な感覚。

 ギリシャやローマの芸術もかなわないようなその美しさ、自然の壮大さに、ただただ涙した。

 

アンコールワットの中央塔上に昇る太陽

 まさにパワースポット。時折何かを祈ったりヨガをしているひともいる。

 『花様年華』(2000年ウォン・カーワァイ監督)のラストで、トニー・レオン扮するジャーナリストのチャウが突如アンコール遺跡にやってきて、遺跡の穴に口寄せて何かを喋り、その穴を土で埋めている場面がある。

 チャウは忘れられぬ女との秘密を埋めにきたのだった。

 

 私も重なった石の隙間に、そっと秘密を埋めてみた。

 思えば、幼い頃から秘密を穴に埋めてきた私。ここに埋めることができるなら、本当に永遠の秘密になるかもしれない。

 

 永遠の秘密を埋めた私が広大な敷地内を歩いていると、尼僧に呼び止められた。

 シャッターを押してほしいと頼まれたので、何枚か写真を撮ってさし上げた。

 「誰か探しているの?」と聞かれた。唐突な問いに思わず「トモダチ」と返すと、尼僧は微笑みながら「すぐにゆきなさい」と、そこで座禅を組み始めた。

 

 わたしは「トモダチ」でもない「TAIZO」に会いたくなった。

 そこへの道は険しいから行けないと首を振るトゥクトゥク野郎を「TAIZOトモダチ、味の素!」と説得し、TAIZOの墓へ向かった。

 

 赤土の道を、土埃をたてて走るトゥクトゥク。

 アンコールワットから北東に約10キロ。

 着いたのは、プラダックという村だった。

 おそらくこの辺りも当時は鬱蒼とした密林だったと思われるが、今は全て伐採されて荒涼とした野原が続く。

 

 そこは、静かな川が流れているのどかな集落のはずれだった。

 人気ない一本道に、「WELCOME TO YOU TAIZO THANK YOU」と書かれた手書きの看板が突然現れて、私を迎え入れる。

 

 板切れをつないだ橋を恐々渡ると、荒れ地にぽつんと墓がみえた。

 手前には屋根の付いた東屋もある。

 

 そこには、一ノ瀬泰造の写真、浅野忠信主演の映画『地雷を踏んだらサヨウナラ』(1999年・監督五十嵐匠)のポスターや1982年に遺骨が発見されたときの両親の写真などが飾られていた。

 

 東屋には線香があったので、スポーツドリンクと線香を持って墓に向かった。

 「TAIZOさーん、こんにちは。日本から来ましたよ。いやあ、なんだかとってもTAIZOさんらしいや!」

 

 わたしは会ったこともない18歳年上の戦場カメラマンの墓に向かって、まるでトモダチのように語りかけた。

 語る言葉が乾いた赤土に吸い込まれ、荒涼としたその地が肥沃になるように。

 

遺体が発見されたプラダック村にある一ノ瀬泰造さんのお墓

 戦場カメラマンの彼の最後の一枚は、1973年11月17日のアンコールワットだった。 

 「下宿の窓から遥か彼方にアンコールワットの中央回廊が見え、毎日望遠レンズで眺めては〝俺の血〟が騒ぎます 〜泰造の手紙より」(『もうみんな家に帰ろー! 26歳という写真家一ノ瀬泰造』一ノ瀬信子編者 窓社より)

 

 この本にある彼のその最後の一枚は、優しく揺れ動く椰子の葉の密林の向こうの遥かシャングリラを望むような一枚だった。

 

 写真からは、死に近づくことで生を渇望するかのような気配さえ感じられてくる。 

 密林の奥にあり、クメールルージュの砦となったアンコールワット。

 そんな死の匂いと生の狭間で冒険を挑み、命を落としたTAIZOの最後の一枚。

 

 そうか、今回アンコール遺跡を歩いて感じたあの不思議な感覚は、死生観に近いのかもしれない。

 「若い日本人、TAIZOに会いに来ない。トモダチ、さみしいね」

 トゥクトゥク野郎の言葉が風に舞って流れてゆく。

 

 私の脳内には、ふとカンボジアでその昔歌われた「君のともだち」が流れていた。

 71年にキャロル・キングによって歌われたこの曲は、ベトナムで疲弊した若者に愛された。世界中で大ヒットとなり、当時カンボジアでも女性歌手によってカバーされた。

 

 「さあもうみんなおうちへ帰ろー!」

 TAIZOの墓を後にした。

 悲しみやいろんな思いをトゥクトゥク野郎の時速40キロの風にぶっ飛ばしながら。(女優・洞口依子)

 

 つづく