皇室と自衛隊の〝接点〟をテーマに平成を写真で振り返る。
1989年(平成元年)2月24日、昭和天皇の「大喪の礼」。皇居など都内3カ所で陸上自衛隊105ミリ砲の弔砲がとどろいた。それぞれ21発、元首クラスの発射数だった。隊員約1600人が受け持ったのは、ひつぎ送迎のための「儀じょう」、沿道で葬列を警護する「と列」、奏楽そして弔砲。竹下政権の時代、自衛隊の儀式参加について「控えめ」であることとされ、憲法・政教分離の議論がされる中、皇宮警察や警視庁の儀じょう隊、音楽隊と並んで国の行事の一翼を担った。自衛隊にとって平成最初の「大仕事」だった。
【写真特集】
即位の礼で使われる「高御座(たかみくら)」は前回の代替わり時、厳戒態勢の中で運ばれた。京都から東京への移送は1990年5月、陸自ヘリ部隊を使い、極秘裏に行われた。一連の儀式に反対していた過激派を念頭に置いた対策。当時の宮内庁幹部によると、輸送ルートや日時は最高機密とされ、桂駐屯地に向かう際も、途中で複数方向に先導車を走らせるなど、陽動作戦を展開した。
【写真特集】
【写真特集】
天皇、皇后両陛下の被災地のお見舞いに自衛隊機も活躍。救援活動の隊員をねぎらうシーンも写真に多く残されている。
【写真特集】
【写真特集】
平成になって、海外派遣が恒常化していく自衛隊。PKO、インド洋、イラクなどに派遣された隊員が皇居に招かれる機会も増えていった。年に一回、自衛隊の高級幹部が集まる防衛省の「高級幹部会同」に合わせて統合幕僚長らが「拝謁」する慣例も1960年代からあった。宮内庁は2016年、ご公務負担のため幹部会同参加者への拝謁を取りやめるが、PKO参加者への「接見」は皇太子さまに譲られると発表している。
【写真特集】
憲法に基づく天皇の国事行為として認証される「認証官」。現在は国務大臣、全権大使、最高裁判所判事、高裁長官、検事総長、検事長などが対象。自衛隊制服組トップの統合幕僚長、陸海空の幕僚長は認証官ではない。自民党でそうすべきとの声も。また栄典制度の見直しも防衛計画の大綱などに記載されている。2014年の春の叙勲で竹河内元統幕議長(現在の統合幕僚長に相当)が議長経験者として初めて瑞宝大綬章を受賞。安倍首相の強い意向だったとされる。
【写真特集】
(構成 共同通信=柴田友明)