長崎の歴史、解き明かす 「埋蔵文化財整理所」

遺物を接合していく職員=長崎市埋蔵文化財整理所

 新聞紙が敷かれた台の上に、ずらっと並んだ大きさや色合いが異なる破片-。新たに建築物などを造る際に実施する埋蔵文化財の発掘調査で出土した遺物を整理し、記録保存する長崎市の埋蔵文化財整理所。基本的には一般公開していないこの施設を、特別に案内してもらった。
 市文化財課の学芸員、扇浦正義さん(55)によると、同市の地中に眠る遺跡は250余り。遺跡がある区域で新たに建築物などを造る際、基本的には埋蔵文化財に影響がないように計画するよう依頼するが、掘削が必要で現状保存が難しい場合、記録保存するため調査し、報告書を作成。松が枝町にある同整理所では出島以外の市内全域で出土した遺物を扱っている。市内で発掘された遺物は市歴史民俗資料館(平野町)の他、サント・ドミンゴ教会跡資料館(勝山町)、メルカつきまち(築町)などで見ることができる。
 同整理所では5~10人が作業。ただし、調査状況で大きく変わる。唐人屋敷跡(館内町)や小島養生所跡(西小島1丁目)などの調査が重なった昨年度は20人いた。報告書を作成するため、遺物を接合したり作図したりしている。
 遺物は発掘された区画ごとに袋にまとめられ、土が付いたまま整理所に運ばれる。1階では、水道水と市販の歯ブラシで土が落とされた遺物が、大まかな種類ごとに並べられていた。扇浦さんによると、発掘されるのは陶磁器や土器、瓦をはじめ、魚の骨などの食べかすが多い。時代が下るとガラスが出ることもあり、「これは約250年前のオランダのワインボトル」と紹介し、触らせてくれた。確かに光を当てると透き通っている。「出島から出てくるのは普通。町屋の跡から出てくるのは、もらったワインのボトルもあるが、飲み終わったボトルをもらって美術品として保管していた場合もある」と説明した。
 次に案内されたのは3階にある事務所。破片がテープなどで接合され、元の形に近づいた遺物があちらこちらに置いてあった。焼き物の種類や染め付けの模様から推測して接合し、報告書に記録する遺物は形状を図に起こす。唐人屋敷の調査は2017年6月に発掘を始め、19年3月に報告書が完成。日中貿易のため滞在していた中国人たちの生活で使う品々が出土した。彼らは中国で作られた食器を日本でも使っていたことなどが分かった。「唐人屋敷跡は日本にもたらされた中国の陶磁器を調べる上で重要な遺跡」と胸を張る。
 扇浦さんは「報告書を作ると『初めて分かること』が多く、解き明かされていく過程が楽しい。報告書は全国の大学や図書館などに配布される。研究の一端を担う責任も感じるが、やりがいがある」と語り、「土の中にある未知の物を掘り出し発見がある。大げさかも知れないが、一つのロマンです」とほほ笑んだ。

水洗い後、大まかな種類ごとに並べられる遺物

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