統一選と同日投票の衆議院大阪12区補選で、自民党はなぜ負けたのか(安積明子)

リードしていた大阪府12区

統一地方選後半戦に合わせて行われた衆議院補選だが、昨年9月の知事選と今年2月の県民投票戦から辺野古新基地建設反対派が大きくリードすると見られた沖縄県3区に比べ、大阪府12区は当初はわずかながらも自民党がリードしていた。

しかし選挙戦が始まると、自民党の北川晋平氏は日本維新の会の藤田文武氏に大きくリードを許してしまう。理由は有権者へのアピールの差だ。

「亡くなったおじさんの遺影に隠れてしまていて、政策をほとんど語れていない。夢も描けない人が国会議員になれるはずもないし、仮になっても何をできるというのだろうか」

自民党関係者は首をひねった。「亡くなったおじさん」とは、昨年12月に腹膜炎のために死去した北川知克前衆議院議員を指す。自民党公認候補の北川晋平氏は知克氏の兄で前寝屋川市長の法夫氏の次男だ。

「知克氏はもともと、世襲に反対していた。自分が死んだ後に家族が衆議院選に出馬することを好まなかった。だから息子は立候補していない。立候補した甥の晋平氏は短期間秘書をやったようだけど、ほとんど政治を知らないのではないか」

別の自民党関係者はさらにこう付け加えた。

「いまさら“弔い合戦”が有権者にウケるはずがない。そもそも東京から大物が来すぎて、本人がすっかり霞んでしまった。あれは逆効果だった」

 

安倍首相、進次郎氏も応援に

自民党は4月13日に小泉進次郎氏を大阪に投入。4月20日には安倍晋三首相も駆けつけた。いずれも本来は「負ける選挙には応援に行かない人たち」だが今回は違った。

小泉氏には二階俊博幹事長からの圧力がかかった。和歌山県を地盤とする二階氏は、強烈な「維新嫌い」。大阪府知事選と市長選に松井一郎氏と吉村洋文氏がクロスで出馬した時には「いささか思い上がっているのではないか」と、有権者をそっちのけで維新の勢力拡大のみに走る知事・市長の辞任劇を批判した。

安倍首相の大阪入りは、昨年の総裁選で大阪府連が支持してくれた返礼と言える。維新に近い安倍首相に反発して、自民党大阪府連は石破茂氏に近かった。しかし大阪府連は総裁選で大きく舵を切り、両者の和解が成立した。

しかしながら安倍首相が大阪入りしたのは選挙戦の最終日で、すでに自民党の敗北という情勢はほぼ固まっていた。総理大臣は負ける選挙応援をするわけにはいかないため、大阪入りの口実として「G20での協力を大阪府民にあおぐこと」とした。安倍首相が吉本新喜劇の舞台に出演したのも、それゆえだ。ただし大阪府連の中からは批判が続出した。「吉本は維新に近い」というのが主な理由だった。

票を分け合ってしまったのか

吉本に近いといえば、4月18日に消費税増税凍結の可能性を示唆した自民党の萩生田光一幹事長代行も批判の的になっている。萩生田氏は大阪都構想について「二重行政を解消しようというのは、極めてすっきりした提案」と評価したことがあり、これが大阪府連の逆鱗に触れたのだ。

こうしたことを考えると、自民党はそれぞれがバラバラであったために勝機を逃したといえるだろう。当選した藤田氏が獲得したのは6万341票で、2017年に北川知克氏に負けた時の6万4530票から減らしている。府知事選と市長選で大阪維新の会が圧勝した直後の選挙結果とは思えない。むしろその数字で勝利したのは、北川氏と樽床伸二氏が票を分かち合った結果ではないか。

4月7日に府知事選と市長選で敗北した時、自民党関係者は筆者に「自民党はもうだめだ、死んだも同然だ」と悲痛な叫び声をあげた。今なおそれが尾を引いているのなら、勝てる見込みがあるはずがない。自民党が負けた主な原因—。それは自民党が勝とうとしなかったからである。

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