統一地方選後半戦の長崎市長選は無所属現職の田上富久(62)が、前市議の橋本剛(49)、前県議の高比良元(66)、社会福祉法人理事長の吉富博久(74)-の無所属新人3人を破り、4選を決めた。戦いを振り返り、展望を探った。
「ここまで票を取れたのは、市民の死に物狂いの力があったからだ」
21日夜、長崎市内の事務所。有力な対抗馬と目されていた橋本は落選の報に触れ、悔しさをにじませた。勝利を信じて集まった支持者らはぼうぜんとし、目に涙を浮かべる姿もあった。
「長崎を変える」をスローガンにPRポスターを各地に張り進め、会員制交流サイト(SNS)も駆使して支持拡大を図った橋本陣営。終盤「田上を猛追している」との情報が出回ると、焦った田上陣営はてこ入れを図り、多くの支援団体が組織力を発揮した。結果的に田上は約8万6千票を獲得。批判票の分散もあり、橋本は約5万4千票、高比良は約1万9千票、吉富は約4千票にとどまった。
田上が進めているMICE(コンベンション)施設と新市庁舎の整備の是非が最大の争点となった。橋本をはじめ、高比良、吉富もこぞって見直しや撤回を訴え、選挙戦は盛り上がっていたかのように見えた。
しかし、水面下では有権者の感覚と微妙な“ずれ”もあった。長崎新聞社などによる投票所での出口調査では、MICE施設整備に対する「反対」「賛成」はそれぞれ3割前後だったが、「どちらでもない」「計画自体初めて聞いた」を合わせると約4割に上った。
「生活に関係がないMICEや市庁舎への市民の関心は低かった」。対抗馬の各陣営からぼやきの声が漏れる。それを裏付けるように投票率は初めて50%を割り、47.33%まで落ちた。
田上陣営は決して盤石だったわけではない。3期12年の実績と圧倒的な知名度、穏やかそうな雰囲気を強みに、当初から陣営内外に楽観ムードが漂っていた。ただ選挙戦術にたけているわけではなく「戦術は相手(橋本)が何枚も上手だった」(選対幹部)。2選目の選挙で獲得した歴代最多の約15万票は4選目ともなれば不可能とみて、今回10万票を目標に設定したが、そこにも届かなかった。
選対幹部は「あの時の二の舞いにならないかと心配した」と振り返る。1979年の市長選で4選を目指した現職の諸谷義武が、当時の県議で勢いもあった本島等に敗れたことが脳裏をよぎったという。
今回、橋本は地盤の市中心部で田上を上回る勢いで浸透したが、それ以外の地域まで広げるには時間が足りなかった。「全市的に知名度のある候補が出ていたら厳しかった」。田上の選対幹部は冷静に分析する。