女子マラソン「名伯楽」小出義雄さん  「おまえはマラソンで世界一になれる!」

左は2000年9月、シドニー五輪女子マラソンで金メダルを獲得した高橋尚子さんと握手する小出義雄コーチ(共同) 右は1992年8月、バルセロナ五輪女子マラソンで銀メダルを獲得し記者会見する有森裕子さんと小出さん(共同)

【写真特集】2000年シドニー五輪陸上女子マラソンで金メダルに輝いた高橋尚子さんらを育成し、名伯楽として知られる佐倉アスリート倶楽部(AC)代表の小出義雄さんが4月24日、千葉県内の病院で死去した。80歳。明るく豪快な性格と素質を見抜いて褒めて伸ばす指導力で知られ、多くの名選手を育てた。女子マラソンの〝名伯楽〟を写真でまとめた。(構成 共同通信=柴田友明)

米国から帰国、小出義雄チーム総監督と現地での練習の様子を語るマラソンの有森裕子さん(左)=1996年6月4日、成田空港

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 「Qちゃん、いいよ~」「おまえはマラソンで世界一になれる」。2000年9月24日、シドニー五輪女子マラソン。劇的な展開でゴールイン、金メダルを決めた高橋さんと小出さんの師弟コンビが五輪スタジアムで抱き合った。

 取材班の一員だった筆者は2人のやりとりを聞き逃すまいと突進していったのを覚えている。

 当時の共同記事で、小出さんは次のように語っている。「レース前も全然、緊張していなかった。すごい子です。今までのマラソンの中では、一番きついコースだったと思う。でも、それよりも5倍以上もきついトレーニングをやってきた。47年間、陸上をやってきてやっとごほうびがもらえた。かけっこが好きなもの同士が一緒にやってきたんだから…。(現地入りして)毎日、32キロから37キロ付近を走らせた。ここで40秒差をつけろと言った。みんなの応援に、勝って恩返しができたと思う」。

名古屋国際女子マラソン 監督に祝福される高橋さん 日本最高記録をマークして初優勝、小出義雄監督(右)に祝福される高橋尚子さん=1998年3月、瑞穂陸上競技場

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 教員生活を23年間送り、1988年に実業団のリクルートの監督に就任。マラソンで92年バルセロナ五輪銀、96年アトランタ五輪銅メダルを獲得した有森裕子さん(「自分で自分をほめたい」、五輪史に残る名言でした…)らを育成した。積水化学に移籍した97年は世界選手権で鈴木博美さんを金メダルに導いた。2002年12月に積水化学を退社。04年に創部したユニバーサルエンターテインメント(当時アルゼ)などから指導を委託されていたが、近年は入退院を繰り返して現場に出る回数も減り、今年3月末で指導者を勇退した。 

 「名伯楽」小出さんのご冥福をお祈りします。

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シドニー五輪 女子マラソンで優勝、ひげを剃った小出義雄コーチと金メダルを持つ高橋尚子さん=2000年9月24日、五輪スタジアム(共同)
滋賀県守山市で行われたハーフマラソンで小出義雄監督(左端)と走る高橋尚子さん=2000年12月17日
ベルリン・マラソンで世界最高記録をマーク、小出義雄監督と一緒に声援にこたえる高橋尚子(共同)2001年9月30日

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東京国際女子マラソン 2位に終わり、佐倉ACの小出義雄代表とともにインタビューに答える高橋尚子さん=国立競技場、2003年11月16日

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アテネ五輪女子マラソン代表に落選し、記者会見に臨む高橋尚子さん(左)と佐倉ACの小出義雄代表=15日、東京都千代田区のホテル、2004年3月19日

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初マラソンで初優勝を果たした佐伯由香里さん(右)を祝福する佐倉ACの小出義雄代表=札幌・中島公園、2008年8月31日

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横浜国際女子マラソン 日本勢最高の2位に入り、佐倉ACの小出義雄代表(左)に金メダルを模したチョコレートを渡し、笑顔で握手する那須川瑞穂さん=横浜・山下公園、2012年11月18日

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