「サッカーコラム」勝敗と内容の適正バランスとは? 浦和サポーターとチームの間に見えた悩ましい問題

浦和―神戸 後半、神戸・古橋(手前左)と激しく競り合う浦和・宇賀神=埼玉スタジアム

 4月20日で第8節を終えたJ1。その時点での順位表を見ていると、あることに気づく。上位グループに入っているのに、得失点を始めとするデータにかなり不思議な数字が並んでいるチームがある。浦和だ。

 試合数の8より少ない6得点で。失点は得点より1多い7だ。挙げた得点のうち5点は、セットプレー絡みかPKによるもの。流れの中から奪ったのは、わずかに1点だ。明らかに得点力不足だが、それは攻撃パターンがないことによって引き越されている。それでも成績は4勝2分け2敗の勝ち点14で6位と、首位争いに十分食いついていける位置にある。得失点などを踏まえるとかなり奇跡的な成績といえる。

 浦和のサポーターたちは、この状況をどう見ているのだろうか。攻撃に関しては見るものがない。それでも勝ち点を積み重ねているから我慢していられるという状態なのかもしれない。

 世の中には、いくら考えても答えが出ない問題というものがある。サッカーにおいては「現実を重視するのか」と「理想を追い求めるのか」がそれに当たる。一番望ましいのは、見ていて楽しい試合を演じた上で成績も伴うことだ。その次にくるものについては、人それぞれだろう。具体的には二つの間を行ったり来たりすることになる。一つは「魅力に欠けても勝ち点を積み重ねること」で、もう一つは「思うように成績が出なくても見ていて楽しいと思える試合内容を見せてくれること」。その人がどんなサッカー哲学を持っているかで、求める理想は違ってくる。

 現在の浦和が見せているサッカーは、お世辞にも楽しいとは言い難い。とはいえ、手堅く勝ち点を拾っていくというやり方は、案外正しい手法なのかもしれない。つまらなくても負けないということは大きいからだ。堅固な守備という基盤を持っていれば、攻撃のバリエーションが増えることは十分期待できる。勝ち負けを無視して、理想とするサッカー―例えば「バルセロナ化」のような―を目指すのは、そう簡単ではない。勝てなければ、選手は疑心暗鬼になる。それでも信念を貫くには、カリスマ性のある指導者が継続性を持ってやることが最低条件だ。残念ながら、Jリーグにそんなクラブはない。

 20日、神戸を迎えたホーム・埼玉スタジアムは、当日券なしの満員御礼状態だった。詰めかけた人々のお目当ては神戸が誇る豪華な外国人トリオであることは明らかだった。

 しかし、2節前の松本戦で負傷したダビド・ビジャに加え、アンドレス・イニエスタも直前に遠征メンバーから外れ、ルーカス・ポドルスキも後半途中で早々と交代した。浦和のオズワルド・オリベイラ監督はイニエスタについて「彼は浦和でプレーすることが嫌いみたいですね。去年も出ていないです」とジョークを飛ばしていたが、世界トップの技術を堪能しようとチケットを買った人にとっては気の毒なことだった。

 浦和の今季ホーム初勝利は、かなり渋い内容だった。先制点を挙げて、守備を固めて逃げ切るという浦和のサッカー。そのゲームプランをアシストしたのは、神戸の思わぬミスだった。

 開始10分、神戸は右サイドバックの三原雅俊がバックパス。CB大崎玲央が受けようとするも逆を取られてしまい、まさかの転倒だ。こぼれ球を浦和・興梠慎三が抜け目なく奪い取り、独走。追いすがるダンクレーを切り替えしてかわそうとしたところを、引っ掛けられてPKを獲得した。これを興梠自身が冷静にゴールに沈めた。

 それにしても神戸の一連のプレーはひどかった。三原の正確性を欠くパス、対処できなかった大崎、そして安易に足を出してファウルを犯したダンクレー。攻撃の3人にだけ大金をかけるのではなく、守備にも資金を少し回せばと思ってしまうほどだった。

 浦和の大きなチャンスは、このPKと前半37分のCKのこぼれ球を武藤雄樹がダイレクトで放った左足シュートぐらい。後半はシュート1本と守備一辺倒になった。それでも、決定的と感じさせるチャンスを神戸に作らせなかった。前線から高い守備意識を持ち、最後のところではディフェンス陣が体を張った。

 1―0での勝利は今季3度目。槙野智章は「守備の選手として手応えがあったし、我慢強く守れたこと、焦れずに自分たちのやることを全うしたのは良かった」と話していた。しかし、話が攻撃も含めた内容に及ぶと「現状を考えれば、内容よりも結果を積み上げていく中で、戦術だったり自分たちの形というものを見いだしていきたい」と、攻撃に関してはチームがまだ形を持っていない事を認めた。

 数年前までは、浦和といえば攻撃だった。その魅力が影をひそめたいま、サポーターのくすぶる心を押えているのは「勝ち点」という現実だ。しかし、この結果で満足できるのは「ウノ・ゼロ(1―0)」で良しとするイタリア人だけだ。そして、浦和の人々は当然のことながらイタリア人ではない。

岩崎龍一(いわさき・りゅういち)のプロフィル サッカージャーナリスト。1960年青森県八戸市生まれ。明治大学卒。サッカー専門誌記者を経てフリーに。新聞、雑誌等で原稿を執筆。ワールドカップの現地取材はロシア大会で7大会目。

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