117クーペ | いすゞ ジウジアーロがデザインした優雅で流麗な4座クーペ

ゴールデン旧車倶楽部

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■プロトタイプがあまりにも評判が高かったため市販化が決まった 
・モデル名 :117クーペ
・世代/形式:PA90型系
・メーカー名:いすゞ
・販売時期 :1968~1981年
・生産台数 :8万6,192台

ジョルジェット・ジウジアーロの手になる国産車離れした流麗なスタイルは、今なお多くのファンを魅了し続けている

70年代の日本車を代表する傑作のひとつ

いすゞ自動車は先の大戦前、トラック&バスの専業メーカーだった。そのいすゞが、大胆にも戦後になって乗用車部門への進出を決める。
1953年(昭和28年)、まず英国の大衆車だったヒルマンのノックダウン生産を開始、ヒルマンミンクスとして発売。そこで得た乗用車製造技術&ノウハウを以て、1961年(昭和36年)に初の自社設計乗用車「ベレル」を発表した。さらに2年後の1963年、ヒルマンの後継車として完全オリジナル設計の意欲作である新型「ベレット」をデビューさせた。

1961年型 ヒルマン・ミンクス

ところが、革新的なスタイリングと高度なメカニズムを併せ持った新型ベレットの登場で、それまでの上級車種であるベレルが一気に陳腐化する。
結果、いすゞは新しい上級車種の開発に迫られる。開発がスタートしたのは1964年、東京オリンピックが開催され、首都高速の開通や新幹線の開業、名神高速道路の開通など、まさに高度成長期に突入した時代だった。

上級セダン「117セダン」から派生するスポーツクーペ

そこで登場したのがイタリア・カロッテェリア「ギア」のフィリッポ・ザビーネがデザインした新型「フローリアン」。1966年の東京モーターショーで「117セダン」として参考出品・初公開されたクルマである。

ところで、いすゞは、上級セダンのフローリアンの開発と同時進行で高級スポーツクーペの開発も進めていた。1965年にクーペのデザインも「ギア」に依頼する。このクーペのデザインを担当することになったのが、ベルトーネからギアに移籍したばかりのジョルジェット・ジウジアーロだった。

そして出来上がったクルマが1966年のジュネーブショーに出展された「ギア・いすゞ117スポーツ」プロトタイプである。
このプロトタイプは、7月に開催されたイタリア・アラシアーノ・コンクール・ド・エレガンスで名誉大賞を受賞。デザインの優秀さを証明してみせた。そして、ショーの評判を見聞きした、いすゞ首脳陣は、正式な市販化を決める。
翌1967年、生産化に向けた幾つかの変更をギアに依頼、東京モーターショーで公開となったのが「117スポーツ」量産型プロトタイプだった。

その後、量産に向けて細部の詰めが行なわれ、1年後の1968年10月にようやく市販車を発表、12月から正式に発売となった。PA90型「いすゞ117クーペ」の登場である。

大きなグリーンハウスに細いピラー、半分だけヘアライン仕上げが施されたドリップモール兼用のステンレス製ウインドウガーニッシュ、リアウィンドウに被さるように閉じるトランクリッドなど、その後の各社車両のデザインに活かされる、細部の処理も美しいクルマに仕上がっていた。

ほぼハンドメイドだった初号機「117クーペ」

市販にあたって、いすゞは117クーペの“高品質”を最大のセールスポイントとしてアピール。全長×全幅×全高4280×1600×1320mmの4座クーペのボディは、繊細なラインと綺麗な面構成による造形で、美しいデザインを忠実に実現するために、ほとんどがハンドメイドとなっていた。

インテリアも同様に手作りで、欧州製グランツーリスモ並みの綺麗なコクピットのインパネには本物の楠が貼られ、スイッチのノブは真鍮の削り出しを用いた。丸形7連メーターがドライバーに向き合い、ステアリングホイールのリムとシフトノブは、ウォールナット製となるなど贅を尽くした内装だった。

搭載したパワーユニットは、ベレットGTなどに使われたボア×ストローク82.0×75.0mmのショートストロークのOHVエンジンにアルミ合金製ツインカムヘッドが載せられた、1.6リッター直列4気筒DOHCエンジン「G161W型」で、2連ソレックス40PPHキャブレターが燃料を供給。最高出力120ps/6400rpm、最大トルク14.5kg.m/5000rpmを発揮。車両重量1050kgの流麗なクーペボディを4速フロアシフトのマニュアルトランスミッションと組み合わせ、最高時速200km/hまで引き上げたとしていた。

搭載エンジン型式記号の意味は、Gはガソリンエンジン、16は1.6リッター、1は開発番号で1番目に開発されたこと、Wはダブルオーバーヘッドカムシャフト(DOHC)をそれぞれ表す。また、ツインカムエンジン開発には、エンジニアだけではなくデザイナーが加わったとされ、見た目の外観も非常に美しいエンジンに仕上がった。

シャシーは完全にフローリアンと共通で、2500mmという当時のスポーツクーペとしては、かなり長めのホイールベースも同じ。サスペンションも共通で、前・ダブルウィッシュボーン+コイル、後・半楕円リーフリジッドの当時としてコンベンショナルな仕様だった。ただし、4座スポーツ・グランドツーリスモとして相応しいハンドリング性能を得るためのチューニングは徹底して実施された。なかでもフロントのダンパーは国産車初のガス封入式を採用。リアサスにはスタビライザーが追加された。
制動力も強化され、フロントがディスクブレーキ、リアがアルフィンドラムという構成だった。

GT-Rを超える高価格の高級スポーツクーペ「117」

まだ、スペシャリティカーというカテゴリーの確固たる概念が無かった当時、高級路線で突き進んだ117クーペはモノグレードで、デビュー時の価格は172.0万円と、同社ベレットGTの倍となってしまい、翌年日産からデビューするスカイラインGT-Rの160.0万円を上回り、月間生産台数は30台から50台が限界だったと伝えられる。

1970年、新しいバリエーションとしてECと1800がラインアップする。ECはDOHCエンジンのソレックス2連装に換えて、国産車初の電子制御燃料噴射装置を採用。アウトプットが130ps/15.0kg.mに向上した。
一方の1800は、排気量を1.8リッターに拡大したG180型のOHCエンジン+ツインキャブ仕様を搭載。出力は115psだったものの、トルクは15.5kg.mと余裕のある走りを披露した。次いで1971年には、1800をベースにシングルキャブ仕様とした廉価版1800Nを追加。同年、米ビッグスリーの一角であるGMといすゞが提携関係となる。その成果か、1973年から117クーペは、量産化に対応した再設計が実施された。

その後、同車は改良やバリエーションの追加、マイナーチェンジを繰り返しながら、美しいデザインはそのままに、1981年5月まで生産された。117クーペは、デビューから10年間、1台も廃車とならなかった記録を持ち、長期間生産されたにもかかわらず総生産台数は、わずかに8万6192台に過ぎない。今なお旧車愛好家の人気は高く、多くのクルマが保存・維持されている。

のちに、いすゞは、「117クーペ」に倣ったかのような、デザインコンシャスな個性派スペシャリティカー「ピアッツァ」などのモデルを輩出するも、乗用車生産から撤退することになる。