金栗四三の精神(4月26日)

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 世界初の駅伝は百二年前の一九一七(大正六)年四月二十七日、号砲が鳴った。首都が京都から東京に移って半世紀後に企画された「東海道五十三次駅伝徒歩競走」だった。関東と中部のチームが競った。

 京都の三条大橋を出発し、三日間にわたって東京・上野の不忍池[しのばずのいけ]までの二十三区間を走り抜いた。関東の最終区は東京高等師範学校(現筑波大)卒業生の金栗四三[かなくりしそう]が務めた。一九一二年七月、スウェーデンのストックホルムで開かれた五輪のマラソンに日本人として初めて出場した。

 金栗は慣れない地でのストレスや、予想外の暑さで途中棄権した。NHKの大河ドラマ「いだてん~東京五輪オリムピック噺[ばなし]」で描かれた。帰国後、自らの脚力と母国の長距離走の強化を図る。五十三次駅伝出場もそのためだった。箱根駅伝の創設にも尽力し、最優秀選手賞には「金栗杯」の名が付いている。

 金栗杯を冠した大会は、かつて勿来の関マラソンとして、いわき市で開催されていた。大会関係者が金栗の東京高師の同級生だったことが縁だった。「ふくしま駅伝」を契機に成長した選手は箱根でも活躍する。長距離走の先駆者の精神が県内でも受け継がれている。