欧州鉄道事件簿(オランダ こそ泥編)

事件現場のロッテルダム中央駅=2017年3月17日

 オランダ鉄道の主要駅はユニークで洗練されている。東京駅に似た赤レンガのアムステルダム中央駅、駅舎の天井近くをトラムが走るハーグ中央駅。前衛的な外観のロッテルダム中央駅、国際空港と国際駅が一体化したスキポール空港駅―。しかし、感心していると痛い目に遭う。犯罪の手口も洗練されているのだ。

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 2018年10月29日白昼、ロッテルダム中央駅発快速。同駅発車前の数人しか客がいない車内で、私は取材道具一式を詰めたバックパックを盗まれた。前後の背もたれと、開かない窓と私自身で四方を囲む隣席に置いたのに、こつ然と消えたのだ。

 気づいたのは下車予定のスキポール空港駅に近づいた頃だ。この時、私は駐在するベルギー・ブリュッセルからノルウェーへの出張途中。パソコン、カメラ、望遠レンズ、ICレコーダ、パスポート、記者証、クレジットカード、名刺入れ…。これらを入れたバックパックさえあれば、スキポールから乗る飛行機でスーツケースが目的地に届かなくても仕事はできる。そんな考えが裏目に出た。

 ブリュッセル・スキポール間は高速鉄道タリスで直行可能だが、時間が合わず、別の高速鉄道ユーロスターでロッテルダムへ行き、快速に乗り換えた。ロンドンと欧州大陸を結ぶユーロスターは半年前、ブリュッセル線の一部をアムステルダムまで延伸したばかりだった。

 しかしなぜ、ガラガラの車内で―。衝撃が収まると、発車前に男が話しかけてきたのを思い出した。「この列車はブレダ(オランダ南部の都市)に行きますか」と。

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 ロッテルダム中央駅に引き返した私は、ホームのゴミ箱にも落とし物係にもバックパックが見当たらないことを確認した上で、近くの警察署へ。前回ロシア強奪編のサンクトペテルブルク警察と違い、看板も、受付も、笑顔もあった。

 「男はどんな人物でしたか」。警官が英語でたずねる。「顔は覚えていません。英語がうまくなかったので、移民系では」と私。「車両は前向き2人掛けの席が通路の左右に並ぶタイプ。私は後から2番目の通路側席に座り、バックパックを窓側席、スーツケースを足元に置きました」

 「男は通路に立ち、ブレダへ行くかと聞くので『行かない』と答えました。外国では私も時々、列車の行く先を乗客に確認するので、あやしく感じませんでした」

 「次に男はスマホ画面を私に見せました。鉄道路線図です。画面が小さく見にくいので『この列車はアムステルダム行き。ブレダは逆方向』とだけ伝えると、男は礼を言って去りました。その間20秒ほどでしょうか」

 「私が男と話している隙に、男の仲間が後ろの空席に入り込んだのでしょう。そいつを見てはいませんが、男のスマホに顔を向けた時、もう一人が後から手を伸ばし、バックパックを取ったとしか思えません。車両はガラガラ。人目に付きません」

 警官は私の話と被害届の疑問点を入念に質しつつ書類をつくる。「共犯者がいた」説はあっさり採用された。こういう手口はよくあるのだろう。

 そんな中、私のスマホにメールが着信した。全文オランダ語。目の前の警官に読んでもらう。「オランダ鉄道、とある。下記の落とし物係のリンクをクリックし、必要事項を記載せよ」だそうだ。

 私が「変だ。私は落とし物係には行ったが、メールアドレスは伝えなかった」と言うと、「リンクは開かない方がいい」と警官。泥棒が私の名刺でアドレスを知り、悪さを仕掛けたとの見立てだ。なるほど。油断も隙もない。

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アムステルダムまで延伸されたユーロスター。ブリュッセル南駅停車中=18年6月6日

 警察署で盗難証明書の作成を終え、ロッテルダム中央駅へ戻る。出張を断念しブリュッセルに帰る前に、私は駅の総合案内に聞いてみた。「このメール、オランダ鉄道のもの?」。返事は「そうです」だった。

 駅の落とし物係も再訪した。担当者は私に事情を聴き、奥に引っ込むと、盗まれたバックパックを持ってきた。「おお!」。ただし、ぺちゃんこ。パソコンもカメラもないと外見で分かる。

 ただ、中には記者証やベルギー滞在許可証などを入れた名刺入れがあった。写真が10万枚以上入ったUSBデバイスも。どん底気分が多少上向き(1)ガラガラ車内は混雑時と違う危険がある(2)後ろの空席に気をつけろ(3)話しかけてくる人を警戒-などと脳内に教訓を箇条書きした。

 犯人は金目の物以外は捨てた。それが落とし物係に届き、中の名刺を見た担当者が早速メールをくれたのだ。疑ってごめんなさい。こんなふうに対応する鉄道会社は世界にそうない。オランダ鉄道は駅舎以外も洗練された会社だった。今後は車内犯罪の撲滅に向け、対策を強めてもらえればと切に願う。

 ☆小熊宏尚(おぐま・ひろなお)共同通信ブリュッセル支局長。欧州中央部のブリュッセルからは外国出張も鉄道が多い。19年4月15日夜のパリ・ノートルダム寺院火災の際は、パリ支局応援のため20時半に家を出て21時13分のパリ行き最終列車に飛び乗った。飛行機ならこうはいかない。

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