社会人になっても、音楽続けますか?  旭川シビックウインドオーケストラ、団員の思い

定期演奏会で演奏を披露する旭川シビックウインドオーケストラ=3月21日午後、北海道旭川市

 この春社会人になった人の中には、学生時代に音楽をやっていた人も多いのではないでしょうか? そんなみなさんは、社会人になっても音楽を続けていますか? それともやめましたか? あるいはまだ仕事のペースがつかめず迷っているところでしょうか?

 大学までチューバをやっていた記者の私は、旭川支局に赴任して、すぐに市民吹奏楽団「旭川シビックウインドオーケストラ」に入団し、2年間活動してきた。私にとって生活の一部だった音楽を続けることができたのは、もちろん、上司や同僚の理解とサポートがあったおかげだ。ほかの団員たちはどんな思いで吹奏楽を続けているんだろう。決して楽ではない、仕事と両立させながら音楽を続ける思いを聞いてみた。

 ▽片道2時間かけても

 旭川シビックウインドオーケストラ(通称シビック)は、北海道旭川市近郊の社会人が中心となって活動している。名前には「たくさんの人に親しんでほしい」という願いが込められている。団員は約20人で、20代と30代が8割を占める。市民楽団としては若いほうだ。週1回、中学校の音楽室を借り2時間ほど練習する(コンクールや演奏会の前は頻度はもっと増える)。年1回の定期演奏会のほか、吹奏楽の甲子園といわれる「全日本吹奏楽コンクール」(全日本吹奏楽連盟主催)にも出場している。

定期演奏会でアンサンブルを披露する館川智絵理さん

 トランペット担当の小学校教員館川智絵理さん(31)は、シビックに所属して8年目。大学時代に、知人の紹介で定期演奏会にエキストラ(助っ人)として参加したのがきっかけだった。「若い人が多く、音楽にフレッシュさを感じた」と入団を決めた。社会人になってからの勤務地も旭川市内やその近隣で生活は快適だった。

 ところが昨年4月、旭川市から北に約60キロ離れた名寄市の学校へ異動に。「通いづらくなるし、やめようかな」。シビックが気に入っていたから、迷っていた。そんなとき、仲間の団員が声を掛けてくれた。「名寄から通ってみて、体力的にしんどいなら辞めればいい」。不思議と気が楽になり、今は片道約2時間かけて練習に参加している。

 ただ、帰り道に車の運転をしていて眠くなり、ひやっとした経験もある。特に冬道は慣れない。それでも続けるのは「音楽を頑張れるから次の日の仕事も頑張れる。両立することは、相乗効果になっている」からだ。

 トランペットはソロで演奏することが多い。プレッシャーが大きい分、指揮者にほめられたり、聴衆から拍手を受けたりしたときの喜びも大きい。館山さんは「演奏会やコンクールが終わった後、『音楽を続けてよかった』といつも思う」と笑顔で話す。

 ▽次はもっと上手に

 サックス担当の津山正裕(つやま・まさひろ)さん(28)は17年から団長を務める。中学から大学までずっと吹奏楽を続けてきた。サックスは「なくてはならない存在」だ。

定期演奏会でアンサンブルを披露する津山正裕さん

 コンビニやホームセンターなどアルバイトを三つ掛け持ちして生活している。「体力的につらいけど、演奏会やコンクールが終わる度に、次はもっと上手に吹こうと考えるのが楽しい」と話す。

 3月下旬に開催された定期演奏会では2曲で指揮者に挑戦した。指揮者は高校時代に一度やったことがあるぐらい。練習で指揮棒を振ってみると、勝手の違いに驚いた。こちらの思いをうまく演奏している団員に伝えられない。とにかく演奏者と同じ目線になるよう努力した。「指揮者と演奏者の双方が、いかに一つ一つの音に共通認識を持てるか意識した」と話す。

 3月下旬の定期演奏会は、団員が役割を分担し、半年がかりで準備してきたシビックにとっての一大イベントだ。

 ポスターのデザインや印刷会社への発注、舞台の設営から進行に応じた照明、ソロの演奏者の動きなどの演出まで自分たちでこなす。私は新聞やフリーペーバーに掲載する広告文を書いた。

 ▽明日からまた頑張ろう

 演奏会当日。590人収容の会場に、約500人が来場した。前売り券販売に力を入れた成果か、ほぼ満員だ。舞台が明るく照らし出されると、団員とエキストラ計約50人が舞台にあがった。

 第1部はクラシックが中心。サックスやフルートのソロも入り、あっという間に1時間が過ぎる。約15分の休憩をはさんで第2部では、ポップスを交えた演奏に。聴衆は手拍子で応え、音楽を楽しんでいるように見えた。モーニング娘の「LOVEマシーン」の演奏では、私を含め男女4人が金色や銀色の衣装を身にまとい、音楽に合わせて踊った。アンコールで演奏した「YMCA」では、来場者も舞台に上がって盛り上がった。

 来場者がアンケートに書いてくれた感想には「また聴きたい」「とても楽しかった」とあった。読んだ団員は顔をほころばせていた。「お客さんに喜んでもらって本当によかった。明日からまた頑張りたい」と津山さん。みんな笑顔だった。(共同=鰍沢恵美里25歳)

 ▽取材を終えて

 急な呼び出しや出張が多い記者になろうと決めたときから、音楽と疎遠になることは覚悟していた。旭川に赴任した直後、未練が残っていた私は当時の支局長に相談した。「仕事と両立できるなら続けるべきだ」。予想外の反応に驚いたが、とてもありがたかった。

 5月から旭川を離れ本社のある東京に異動した。シビックにいた2年間は本当に充実した日々だった。取材先との付き合いとはひと味違い、学生時代のようなフランクな関係で、一緒にいて居心地がよかった。転勤で吹奏楽はいったんお休み。機会があったら再開したいと思う。

 最後に、旭川支局の上司だけでなく同僚も、演奏会やコンクールがある日は仕事のシフトを替わってくれたりして支えてもらった。この場を借りて、感謝の気持ちを伝えたい。(終わり)

© 一般社団法人共同通信社