五島「お大師さま」 もてなしと信仰 受け継ぐ 住民が参拝者に手料理やお菓子

ヤマツツジなど季節の花々で彩られた祭壇。最上段には各家庭ごとに受け継がれてきた空海像が祭られている=長崎県五島市三井楽町嵯峨島

 真言宗の開祖、弘法大師(空海)をしのぶ伝統行事「お大師さま」が25日、長崎県五島市三井楽町であった。命日とされる旧暦3月21日、家庭に伝わる大師像を祭壇に祭り、参拝者に手料理やお菓子を振る舞う。昨年初めて体験した記者は、この風習に魅了された一人。今年も町を歩き、もてなしの心とあつい信仰を受け継ぐ人々の姿を見詰めた。

 午前9時。同町の貝津港で、元市地域おこし協力隊員の宮本恭子さん(47)と合流した。3月まで三井楽支所に勤め、参拝できる家庭をまとめたマップを作るなど地域事情に詳しい。まずは定期船に乗り、港から西に約5キロ離れた嵯峨島へ向かった。

 各家庭には、ヤマツツジなどの季節の花で飾り付けた華やかな祭壇があり、まんじゅうや果物が供えられている。線香を上げ手を合わせると、住民が「よく来てくれた」とジュースやお菓子を手渡してくれた。この日は平日。学校終わりにやって来る子どもの分も用意しているという。

 「でも今は小中学生が4人しかいないのよ」。住民女性(58)がつぶやく。高齢化も進み、かつて20軒ほどで営まれたお大師さまも現在は5、6軒。「でもおばあちゃんの頃から続いているから、欠かさないようにしないとね」。女性は静かに大師像を見詰めた。

 島を離れ、次に向かったのは濱ノ畔地区の民宿「西光荘」。「お接待」と呼ばれる料理が人気で、厨房(ちゅうぼう)で慌ただしく働く小坂信太郎さん(63)は「リピーターばっかりだよ」と笑顔。200人分以上を用意したというが、大皿に盛られた煮しめや天ぷらはあっという間になくなっていった。

 なぜこれほど盛大にもてなすのか。「母がお大師さまを大切にしていたから」と信太郎さん。姉の野口美女子さん(67)によると、民宿を始めた母アキヨさん(享年87歳)は生前、外出するわが子の体を大師像に触れた手で触って送り出したり、具合が悪いときには祭壇に供えた茶や水を飲ませたりしたという。けがや病気がないように-との信仰心からだった。「だから、たくさんの方にお参りしてもらいたい。楽しく頑張っています」。大切な行事を家族で守り続けている。

 宮本さんの案内で最後に訪ねたのは、同地区にある「竈(かま)行者堂」。少数の地域住民がひっそりとお大師さまを祭っている。20年以上携わる中村幾次さん(84)が迎え入れてくれた。祭壇には7体の大師像。地域住民が保管できなくなった像も預かっているという。

 記者がお参りを済ませると、中村さんがおもむろに長さ1メートルほどの細長い木箱を持ち出した。促されるまま進み出ると、中村さんはお経や「元気で頑張ってください」という言葉を唱えながら、木箱で記者の頭や肩、腰などをたたき始めた。木箱には仏が描かれた巻物が入っていて、参拝者の健康や幸せを願い、長年続けているという。

 「来てくれた人の話を聞いたり、人に話をしたりするのが好きでね。元気でいられるうちは毎年やりますよ。また来年」。中村さんが笑顔で見送ってくれた。

 帰り際、三井楽在住4年目の宮本さんに行事の魅力を尋ねた。「田舎にいても毎日を慌ただしく過ごす中で、人の優しさとか信仰心のあつさとかに触れて、人として大切なものに、ふと出合うことでしょうか」。宮本さんは現在、再生可能エネルギー事業や空き家再生など新たなプロジェクトに携わっている。記者も何かと仕事に追われてばかりの日々を振り返り、妙に納得した。だからこそ来年もまた、お参りに行こうと思うのだろう。

参拝者に振る舞われる料理も楽しみの一つ。民宿「西光荘」には多くの人が詰め掛け、大皿の煮しめや天ぷらがあっという間になくなった=長崎県五島市三井楽町濱ノ畔
お堂を訪れた参拝者の肩や頭、背中などを木の箱でたたき、健康や幸せを祈る中村さん(奥)=長崎県五島市三井楽町濱ノ畔、竈行者堂

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