なぜ、治安が良いとされてきたスリランカで大規模自爆テロが起きたのか 年間5万人の日本人観光客

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スリランカは今後、日本人に大人気の観光国になろうとしていた矢先に…(画像はDTACスリランカ観光情報局より)

2019年4月21日にスリランカで発生したキリスト教会や高級ホテルを狙った連続自爆攻撃。死者は253人のぼり、そのうち38名が外国人で日本人の吉田香さんも亡くなった。

日本からは年間約5万人の観光客が訪れ、スリランカを紹介するサイトを眺めてみれば、治安も悪くなく、おすすめの国であるいったようなことが綴られている。実際日本人の観光客は8年連続で増加していて、8年前の3倍以上に増えている。まさに今回のテロは多くの日本人にとって寝耳に水だったに違いない。

しかし、10年以上前まで時計の針を戻すと、スリランカは激しい内戦が行われていた。80年代にはじまった内戦は、イギリス植民地時代に南インドから移住してきたタミル人が武装組織タミル・イーラム解放の虎を結成し、スリランカ政府に対して北部の分離独立を求めたものだった。

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タミル・イーラム解放の虎は、政府軍に対して自爆テロを厭わず、コロンボ市内では爆弾テロが起きるなど、10年前までは硝煙の匂いが国土に満ちていた。

1948年の独立以来続いた、シンハラ人とタミル人対立には、民族問題の他に、仏教徒のシンハラ人とヒンズー教徒のタミル人の宗教対立という側面もあった。シンハラ人の仏教徒の中には、先鋭化しタミル人への敵意を剝き出しにする者たちもいた。

内戦終結後、次にその集団が刃を向けたのが、イスラム教徒だった。過激派仏教徒の団体名はBBSといい、近年イスラム教徒への迫害を繰り返し、昨年には非常事態宣言が出されたほどだった。

スリランカのイスラム教徒は、全人口の一割ほどで、八世紀にアラブ商人がスリランカを東南アジアや中国との貿易の拠点としたことに端を発する。その後、マレー系イスラム教徒、インドからのイスラム教徒などが流入した。イスラム教徒は十六世紀にスリランカに手をのばしたポルトガル、タミル・イーラム解放の虎からの迫害はあったものの、総じて宗教的な対立を表立たせることなく暮らしてきた。

ところが、2015年には、スリランカから当時イラクを中心に勢力を拡大していたISに共鳴し現地に渡航する者たちが現れた。ISに影響を受けたイスラム教徒の中には、仏教徒に対する不満などから仏像破壊するなどの過激な行動に出た。

今回のテロが不可解な点は、スリランカの国内問題に対して不満を抱いているイスラム教徒が企てたのであれば、攻撃は仏教徒に向けられるはずだが、被害者は、スリランカにおいてイスラム教徒よりさらに少数派のキリスト教徒であり、外国資本のホテルを狙った点である。

スリランカ政府は、今回のテロを実行したのはイスラム過激派組織「ナショナル・タウヒード・ジャマア」によるものとだと発表している。

ナショナル・タウヒード・ジャマアは、インドやバングラデシュのイスラム過激派組織とも連携していたとされる組織だ。テロ発生の2週間前にはインドの情報当局が情報を掴み、スリランカ政府にテロの危険性を伝えていたという。イスラム国も犯行声明を出していることもあり、国際的な組織が絡んでいたことは間違いない。

仮に勢力を後退させているイスラム国が今回のテロに絡んでいるとすれば、キリスト教徒や外国人を狙った方が、世界的なアピールになり、テロの目的にも合点がいく。

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さらに世界情勢からみると、スリランカは中国との結びつきが強い。タミル・イーラム解放の虎との内戦においては武器援助を行い、その後は経済援助を続け、ハンバントタ港の使用権を獲得したことはよく知られている。

今回のテロを未然に防げなかったとして、国防担当相と警察庁長官は辞任に追い込まれ、露骨に親中路線に走った前大統領とは違い、バランス外交を掲げるシリセナ大統領には批判の矛先が向いている。

イスラム過激派を隠れ蓑にして、スリランカに揺さぶりをかけようという勢力が黒幕にいることも考えられる。スリランカの国内問題と国際問題が複雑に絡み合っているのが今回のテロである。(文◎八木澤高明)