「信用、親切、丁寧」モットーに45年 戦争、差別、PTSD乗り越えて 古本不動産 会長兼CEO 古本武司

古本武司(ふるもと・たけし)■米国生まれ、広島育ち。カリフォルニア大学ロサンゼルス校(UCLA)商業科卒。1970〜71年、ベトナム戦争出征。1974年、古本不動産を創業。現在、ニューヨークとニュージャージーを中心に不動産の賃貸・売買を手掛ける。ニューヨーク広島会名誉会長。

第2次世界大戦のさなか、強制収容所で生まれ、複雑なアイデンティティーを持って育った。古本不動産の古本武司会長(75)は当地で不動産事業を営んで45年。「次世代の人たちに自分のような体験をさせたくない」。公私にわたり反戦や差別のない社会を強く訴える。

終戦直後、両親と共に日本へ引き揚げ、広島市の実家で小学5年まで過ごした。その後、姉の住むカリフォルニア州に両親と共に移住。まだ日本人への風当たりが強く、偏見を持たれる時代で「住みたい街区にも住めず」、治安の悪いエリアでの居住を余儀なくされた。

入学後も差別的な扱いを受けた。12月は学校に行くのが嫌だった。真珠湾攻撃のあった月で、「登校すると、仲の良かった友達にまで『ジャップ、ジャップ』と指をさされました」。しかし、悔しさをばねに「いつか差別を乗り越えてやろう、見返してやろう」という思いが強まった。

勉学に励んでUCLAを卒業、その後は志願して士官学校の道へ進んだ。ベトナム戦争が泥沼化する中、戦場の最前線で「国」のために戦った。「よく戦ってくれた」と、周囲の米国人が古本さんを見る目は変わった。

敬意を勝ち得たが、代償は大きかった。戦争の悲惨さを目の当たりにし、生還後も「まともな精神状態ではなかった」とPTSD(心的外傷後ストレス障害)にさいなまれた。家族の住むカリフォルニアではなく、ニュージャージーで自ら孤独な生活を選んだ。不動産業界に身を置くも周囲と折り合えず、会社を転々とした。それでも通算2年ほど働き、不動産経営の資格を取得、起業した。創業の地は、月額賃料100ドル、窓のない地下の1室。当時の暗うつたる精神状態を示すかのようで「一生この暗い事務所で過ごすんだろうな」と覚悟していた。

しかし時代は違っていた。当時、日本の高度経済成長期と相まってトヨタ自動車や松下電器産業(現パナソニック)などの大手が次々と進出、大挙して来米する駐在員の特需に沸いた。「日本語で丁寧な対応を心掛けました」と話す古本さん。住居で差別的扱いを受ける日本人は自分だけで十分だと必死になった。学校の手続きや家具、車の搬送など幅広く赴任者の新生活を支え、信頼を集めた。評判の広まりとともに、事業はマンハッタンやウエストチェスターへと順調に拡大していった。

「妻には迷惑を掛けた」とPTSDに悩まされながらも、家庭を持った創業時を振り返る。今は、家族と行くゴルフや映画が癒やしのひと時。会長職の傍ら、自らの戦争体験や反戦の思いを後世に伝える活動に尽くす。 

年1回は両親の墓参でロサンゼルスへ行く。日本と米国の間で揺れ続けた半生、「いい社会を作っていきたいです」。その言葉は重く響いた。

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