平成に幕、令和へ 長崎県内 回顧と期待 「核廃絶 政府は消極的」、「昭和の事業 再考願う」

 30年余り続いた「平成」が30日で幕を下ろす。本県ではこの間、「昭和」から引き続き長崎原爆やカネミ油症の被害者救済や記憶の継承が課題となった。東彼川棚町の石木ダム建設事業は地権者らの反対が根強く、解決は「令和」に持ち越される。一方、長崎市の端島炭坑(軍艦島)の世界文化遺産登録など明るいニュースもあった。それぞれの当事者が去りゆく時代を振り返り、新時代への展望を語った。
 長崎市の被爆者、山脇佳朗さん(85)は定年退職後、被爆体験を話し始めた。2015(平成27)年に同市で開かれたパグウォッシュ会議世界大会では世界の科学者を前に英語で語り、「充実した機会だった」と言う。一方で「核廃絶に向けた政府の姿勢はずっと消極的だった」と不満を漏らす。「海外でもっと積極的に原爆展を開き、被爆の実相に触れてもらう機会を増やすべきだ。核廃絶の流れが飛躍する新時代になってほしい」と願う。
 1968(昭和43)年に発覚したカネミ油症は昨年で50年の節目を迎えた。平成に被害者救済に向けた動きが一定前進したが、今も多くの未認定患者がいる。被害者団体、国、カネミ倉庫による3者協議が繰り返されたが、目立った成果を上げられないままだ。
 「カネミ油症被害者五島市の会」の旭梶山英臣会長(68)は「カネミ油症は解決しないまま三つの元号をまたぐ。令和では未認定問題や医療費の拡充について、2歩、3歩と前進してほしい」と期待する。
 県と佐世保市が東彼川棚町に計画する石木ダム建設は、72(昭和47)年の予備調査から50年近くが経過した今も、地権者らの同意を得られず、解決の糸口は見えない。地権者の炭谷猛さん(68)は「元号が変わり、新しい時代に進むのに、昭和の事業にしがみつき続けている」と行政の姿勢を疑問視。「人口が減り自然との共生が重視される中、ダムが本当に必要なのか。時代が変わる今こそ、もう一度立ち止まって考えてほしい」と話した。
 2015年には長崎市の軍艦島を含む「明治日本の産業革命遺産」が世界文化遺産に登録された。元島民でNPO法人「軍艦島を世界遺産にする会」の坂本道徳理事長(65)は軍艦島の登録を目指し20年近くを費やしたという。「『古里を守りたい。歴史を伝えたい』との思いで駆け抜けた」と振り返る。
 1983(昭和58)年創業の金属部品加工業、平成機工(長崎市)は89(平成元)年、法人化に伴い元号を社名に採用した。中村泰則会長(75)によると、当時は妻と2人だけで、業績が悪化し人手に渡すことを考えたが、夫婦で励まし合い乗り越えてきたという。ひとつの時代が終わろうとしている今、中村会長は「平成は無我夢中で頑張った」と感慨深げ。「令和は自分の時代」と話す2代目の中村伸二社長(42)は20人弱の従業員とともに宇宙関連事業など新分野に挑戦する考えだ。
 人口減少対策や産業振興など課題山積の県政。過去の複数の選挙で当落を繰り返し平成最後の県議選で初当選した北村貴寿さん(46)は「新時代では仲間とともに県政に新しい価値を創造したい」と意気込んだ。

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