平成終幕 銃撃戦で緊張高まった海上警備 “戦線”にいた長崎海保・白武さん

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不審船との銃撃戦を振り返る白武さん=佐世保市、佐世保海上保安部

 中国の海洋進出など東アジアの安全保障情勢が激動した「平成」の時代。それは同時に、島国日本が国境海域の治安をどう守るかという難題も突き付けた。2001年には鹿児島県・奄美大島沖で海上保安庁が北朝鮮の不審船と銃撃戦を繰り広げる事件が発生。当時、長崎海上保安部の巡視船「いなさ」の航海長として“戦線”にいた白武敏美さん(63)に緊迫の現場を振り返ってもらった。
 01年12月22日午前2時ごろ。長崎港に停泊していたいなさ船内で休息を取っていると、突然電話で指令を受けた。「奄美大島北西100カイリ不審船あり。出港せよ」。状況を把握できないまま、現場に急行した。
 操船を指揮し、大しけの闇夜を走った。昼ごろに見つけた不審船には「長漁3705」「石浦」の表記があった。「鮮魚運搬船に見せ掛けた中国マフィアの密航か密輸か」。過去に対応した不審船と印象は変わらなかった。
 法に基づく停船命令や海面への威嚇射撃を実行したが、無視された。午後4時すぎ、現着した仲間の巡視船とともに船体への威嚇射撃を開始。不審船から一時炎が上がったが、そのまま逃走を続けた。
 その後、巡視船2隻で挟み撃ちを仕掛けた。その際、兵士のように屈強な男の姿が見え、「工作船だ」と直感。午後10時すぎ、突然、不審船は自動小銃を乱射し、無数の火花が散った。白い閃光(せんこう)とともにロケット弾も発射。巡視船あまみ、いなさは正当防衛射撃で応じ、激しい銃撃戦となった。
 互いに多くの銃弾を受け、不審船は爆発後、沈没した。巡視船は乗員3人が負傷。いなさも船橋のガラスや右舷部に弾痕が残り、船内のロッカーなどが散乱した。航海長室のベッド下に置いていた革靴は、銃弾が貫通し穴があいていた。
 現場海域からは不審船の乗組員とみられる4人の遺体を回収。不審船は多数の武器を積載していた。政府は北朝鮮の工作船と特定した。

 銃撃戦後も沖縄県・尖閣諸島沖での中国漁船衝突事件など国境海域での緊張は続き、そのたびに海上保安庁は矢面に立たされた。
 白武さんは3年前に定年退職。現在は再任用で佐世保海上保安部の港内管制官を務めている。「銃撃戦を機に巡視船の装備など対策は強化された。しかし、緊迫した状況は今も続いている。それは新しい時代も変わらない」。国境の最前線にいる後輩に思いを寄せた。