デスク日誌(4/30):納豆と後三年

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 JR奥羽線の横手駅の北隣に後三年駅がある。駅名の由来はずばり後三年の役(1083~87年)だ。

 駅から東に数キロ離れた所に当時あった金沢(かねざわ)柵に、清原家衡・武衡連合軍が立てこもった。源義家・清原清衡連合軍が包囲して兵糧攻めにしたのが後三年の役の「金沢柵の戦い」だ。

 奥羽線で横手駅と大曲駅の間を通るたび、この駅が気になっていた。4月半ばの週末、電車とバスを乗り継いで金沢柵跡を訪ねた。

 金沢公園前というバス停で下車。上り坂を十数分ほど歩き、金沢八幡宮に続く石段にたどり着いた。

 金沢柵跡に足を運んだ目的の一つは、ここにあると聞いた「納豆発祥の地」の碑を見ることだった。どこにあるか分からず、しばし探して石段脇に見つけた。

 碑は、後三年の役の折に義家が「農民に煮豆を俵に詰めて供出させた所、数日をへて香を放ち、糸を引くようになった…」と文字を刻んでいた。納豆発祥の伝説が秋田の古戦場に息づいていることを確認できた。

 現場に出向き自分で見聞きすることがやはり取材の基本だなあと、静寂な金沢柵の二の丸跡で原点に立ち返った気分になった。 (秋田総局長 松田博英)