「サッカーコラム」平成最後の観戦で得た満足感 この先が楽しみなJ1横浜M

横浜M―鹿島 後半、決勝ゴールを決め、ポステコグルー監督(左)と握手する横浜Mのマルコスジュニオール=日産スタジアム

 1993(平成5)年に開幕したJリーグ。発足時に参加した10クラブ、いわゆる「オリジナル10」の中で、トップ・ディビジョンから降格したことのないのは2チームだけなのだという。平成最後となった観戦ではくしくもその2チームが対決した。4月28日開催のJ1第10節横浜M対鹿島だ。

 チームとは監督や選手が変われば、戦い方も変わってくる。その中で誰もがイメージできる「〇×スタイル」というものを、新元号に変わる前に確立した唯一のチームが鹿島だろう。四半世紀を通して「勝負強さ」を前面に押し出し、築き上げられた「20冠」の栄光。1点さえ奪えれば、冷徹に守り切ってみせる。その非情さはある意味でイタリア的だ。そして、伝統は現在も受け継がれている。

 その鹿島をホームに迎えた横浜Mは、ここ2シーズンで展開するサッカーが劇的に変わった。18年シーズンから指揮を執るアンジェ・ポステコグルー監督が志向するパスサッカーは日を追うごとにチーム内に浸透。どこまでも攻撃的で見ていてかなり楽しい。

 注目の試合は、開始早々に動いた。前半11分に、左サイドをものすごいスプリントでオーバーラップした鹿島の左SB・安西幸輝にMF白崎凌兵が絶妙のスルーパスを通した。受けた安西はそのままのスピードを保ったままカットインし、横浜M・GK朴一圭の股間を狙い撃ち。鹿島に先制点をもたらした。

 先制したら、鹿島の試合運びはさらに手堅さを増す。開幕当初は不安定な部分も見られた犬飼智也と町田浩樹のCBコンビも、いつの間にか「鹿島化」されて厳しい寄せを見せる。このほかにも、前半29分には安西が横浜Mの三好康児が放ったシュートをブロックした。これなどはギリギリのところで体を張るいかにも鹿島らしい守備だった。

 しかし、この日は鹿島の堅固な守備にほころびが出た。横浜Mが圧倒的に攻め込んだからだ。「単純なミスが多いので余計な体力を使った」とキャプテンを務めた永木亮太は語ったが、その目には「あれっ」という本来ならばあり得ないミスが何度か映ったという。それを誘発したのは鹿島を守備一辺倒に押し込んだ、横浜Mのボール回しだった。

 ポゼッション率68パーセントと、横浜Mは約7割のボールを握った。パス本数の比較では鹿島の259本に対し、横浜Mは3倍弱の714本。相手の体力を奪い、徐々に疲弊させるのには十分過ぎるほどの手数だった。

 自陣ゴール前に分厚いブロックを敷く鹿島。その堅固な守備を最初にこじ開けたのは、仲川輝人のDFの心理を読み切った駆け引きだ。161センチと小柄ながら、仲川の守備ラインの背後に抜ける縦への飛び出しは、どのチームにも警戒されている。そのDFの脳裏に刻まれる「縦」のイメージを逆手に取ったのは後半24分だった。

 「前半もそうですけど、後半も(DFは)縦を切っていた。縦を警戒されているなと感じた」

 そう思ったからこそ、仲川には次の選択肢が浮かんだ。右サイドで三好からのパスがうまく収まった次の瞬間、「1対1で仕掛けて、中にカットインするのが今日はなかったんで、一回ぐらいカットインしてシュートをしようかと思った」。マークする安西を外して左足で狙い澄ましたシュートは、ファーポスト際にきれいに吸い込まれた。

 1―1の同点。守備一辺倒になった鹿島が、ここから再び前に出る力はなかった。逆に横浜Mは、さらに勢いづいた。後半37分には、右サイドバックの広瀬陸斗が鹿島最終ラインの裏にあったスペースに30メートルの縦パスを入れる。DFラインが乱れ鹿島の永木が残ったことでオフサイドとならなかったマルコスジュニオールが、このボールをハーフバウンドで右足シュート。「ニアが空いていたので」と、GK権純泰と右ポストの狭い空間を狙い撃ちしネットを揺らした。

 前半は鹿島の勝ちパターンにはまった試合だった。その堅固なブロックで築かれた守備を完璧に崩し切って奪った2得点。今シーズン、開幕戦のG大阪戦以来の逆転勝利となった横浜Mの選手たちは、日を追うごとに自分たちのサッカーに手応えを感じている。

 キャプテンの天野純は、逆転勝利の要因について次のように語った。

 「みんながこのサッカーを信じてやっている。これを貫き通せば勝てるという成功体験も今日得られた。さらに信じる気持ちというのが固くなったのかと思います」

 横浜Mの目指すサッカーは、そう簡単に完成するものではない。それでも日を追うごとに形になってきている。近い将来が楽しみだ。一方、アジア・チャンピオンズリーグ(ACL)の影響もありこの日は精彩を欠いた鹿島だが、近いうちに調子を取り戻すだろう。なぜならそれが鹿島だからだ。

 サッカーというスポーツが、広く日本の社会に根付いた平成という時代。最後に楽しい試合を見ることができて、本当に良かった。

岩崎龍一(いわさき・りゅういち)のプロフィル サッカージャーナリスト。1960年青森県八戸市生まれ。明治大学卒。サッカー専門誌記者を経てフリーに。新聞、雑誌等で原稿を執筆。ワールドカップの現地取材はロシア大会で7大会目。

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