憲法内矛盾もたらす世襲 本質は血のカリスマ 不可視の天皇制(7)

By 佐々木央

 

26年前の結婚パレード。筆者も近くで取材した

「宮内庁担当だったころ」と書きだそうとして、手が止まる。これは正確ではない。

 宮内庁の仕事が終わって1年後、旧文部省を担当した。そこで取材したのは文教政策だった。ところが、宮内庁で取材したのは「宮内政策」といったものではなかった。(47NEWS編集部、共同通信編集委員)

 取材テーマは、目の前の宮内官僚たちを超え、彼らが奉仕する天皇・皇族だった。そのせいか、先輩記者の中には「宮内庁担当」と言わず「皇室担当」を自称する人もいたし、皇室取材チームを「天皇班」と呼ぶデスクもいた。だが、天皇・皇族を直接取材する機会は極めて少ない。それは皇室報道の特殊性をもたらす要因の一つなのだが、そのことについては稿を改めたい。

 ▽私事と公事の逆転

 宮内記者会の常駐記者として登録されたのは30年前、1989年秋である。それまで共同通信の常駐は2人だったが、4人に倍増され、増員メンバーの1人が私だった。

 いまメディアは、平成から令和への代替わり報道に膨大な時間や紙面を割いている。30年前の増員も、代替わりやそれに伴う変化への対応と思われただろうか。実はそうではない。課された使命は「皇太子妃」だった。皇太子妃になるのは誰か。それを探る先の見えない取材が、それから3年以上続いた。

 それより少し前、89年の夏に皇太子より先に弟の結婚相手が決まり「紀子さん報道」が過熱した。皇太子妃が決まればその比ではない。メディア各社は態勢を大幅に強化した。

 さかのぼれば、88年秋から89年初めまでは昭和天皇の病状が最大のヤマだった。全国から記者が集められ、皇居の各門や関係者の家、出先に張り付いた。

 皇太子が結婚した後は、皇太子家の子どもの誕生が大きな取材課題となる。

 これだけでもお分かりだと思う。皇室担当記者の取材テーマは、象徴とその一族の、誕生から成長、結婚や病気、死に至る人生そのものである。これらのライフイベントは一般的には、社会との関わりが薄い。プライバシーの領域だ。メディアが土足で入り込むことは許されない。

 例えば、スポーツ選手ならまずスポーツにおける活躍によって注目される。人気選手になると、私生活にまで関心が及び、報道対象になる。芸能人も同じだ。学者も家庭生活まで話題になるのは、ノーベル賞を受賞したときぐらいだろう。

 だが、天皇・皇族の場合はそうした社会的活動やそれへの評価と関わりなく、私事がニュースとなる。なぜか。関係する憲法の条文を引く。

 第1条 天皇は、日本国の象徴であり日本国民統合の象徴であつて、この地位は、主権の存する日本国民の総意に基く。

 第2条 皇位は、世襲のものであつて、国会の議決した皇室典範の定めるところにより、これを継承する。

 第1条が意味するのは、旗や歌ではなく生身の人間を象徴として置くということだ。生身の人間は生まれ、成長し、衰え、やがて死ぬ。日本国の象徴がいま、どの過程にいて、どのような状況にあるかは、国の問題となる。ここで私事こそが公事になるという逆転が起きる。

 第2条は皇位の世襲。世襲であるから「誕生」とそれを準備する「結婚」、皇位継承を意味する「死」の重要性はさらに増すことになる(今回は「死去」による皇位継承ではないが、生きながらの退位を認めない皇室典範は維持されている)。そして、次の天皇になるべき人、次の次に天皇になるべき人たちの「生老病死」もまた社会の関心事となる。

 世襲であるということは、血筋にこそ天皇たる理由があるということだ。事実、天皇の地位は神話に淵源を求め、血統によって根拠付けられてきた。「血のカリスマ」である。そのような特別な血筋を受け継ぐ一族、貴種の動静にも、関心が集まることになる。

 ▽プライバシーへの侵入

 誰もが指摘するように、世襲規定はあからさまな憲法内矛盾を来している。念のため憲法第14条第1項を掲げる。

 「すべて国民は、法の下に平等であつて、人種、信条、性別、社会的身分または門地により、政治的、経済的又は社会的関係において、差別されない」

 皇位の世襲は「門地による差別」であろう。天皇・皇族は特権的な立場にある。働かなくても食べていける。立派な住居も保障され、召使いもいる。行く先々で特別な接遇を受ける。

 だが、言論や婚姻の自由が制限され、選挙権もない。登山が好きでも、危険度の高い山に挑戦することはできない。働くことは自己実現の重要な一部だと、私は考えるが、職業選択の自由もない。こちらは憲法第11条「基本的人権」との衝突である。

 さらに、憲法第4条は天皇を政治的に無力化した(本シリーズ2回目参照)。憲法上、認められたのは儀礼的・形式的な国事行為だけである。そうなると、国事行為以外には、血筋の維持やそれに関わる行為だけが、本来の「ご公務」ということになる。

 血のカリスマであってみれば、とりわけ子どもを産むことは重要な仕事となる。かつて「女は産む機械」と発言して批判を浴びた閣僚がいた。憲法第2条は究極、それを要請している。2004年、皇太子による「人格否定発言」が議論を呼んだが、そのような文脈で考えるべきだと思う。

 このような矛盾に満ちた制度は、取材報道の上でも困難や軋轢をもたらす。私事の領域への侵入が不可避となるためだ。

 皇室担当になって間もなく、皇太子妃の有力候補とされる女性の動静を探った。皇太子との出会いの機会が設定されている可能性があったからだ。結果は空振りだったが、彼女が私たちの動きに気づいていなかったか、気づいて傷つかなかったか、今も気にかかる。(敬語敬称略)

不可視の天皇制(8)脱出の自由

不可視の天皇制(6)憲法1条の不思議

不可視の天皇制(5)誕生日の処刑

不可視の天皇制(4)結婚の条件

不可視の天皇制(3)沈黙の強制

不可視の天皇制(2)お言葉の政治性

不可視の天皇制(1)皇室報道の倒錯

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