『傑作はまだ』瀬尾まいこ著 自分さえよければよかった男

 ある小説家の物語だ。50代男性。ひとり暮らし。見事なまでの、自分さえよかれ主義生活。自分が気にならないなら、部屋が多少散らかっていてもかまわない。食事も、自分のタイミングでとる。ご近所付き合いなどもってのほかで、ただただ、家にこもって、パソコンに言葉を書き付けている。

 20代の頃、勢いでセックスしてしまった女に、子供ができたと告げられた。自分がひとりで育てるから、あなたは父親ヅラしないでと通告されて、生活費を送る以外の接触を一切してこなかった。そんなふうにして生まれてきた息子が、成人して、突然、小説家の家にやってくる。

 そこからは、パラダイムシフトの日々である。天真爛漫すぎる息子の、バイト先のコンビニ店長との交流。天真爛漫すぎる息子が、勝手に入ってしまったご近所の自治会が催す古本市の手伝い。天真爛漫すぎる息子が親しくなったご老人から、続々と届けられる野菜や土鍋や柚子ジャムのおすそわけ。

 小説家はただただ一方的に「人と暮らすということ」がもたらす大嵐にさらされる。それを普通にこなしている人たちからしたら、極めて当たり前なことばかりだけれど、「ひとりで生きていく」と決めている人間にとっては、そのひとつひとつが天変地異に等しい。

 おすそわけをもらったら、「お礼」をしなくちゃならない。小説家は手ぶらで老人宅へ押しかけて、「ありがとうございました」を言うのだけれど、帰りに、むしろ山盛りの手土産を持たされてしまう。次こそはと張り切って、大福を10個買い込んで老人宅に向かうも、賞味期限が翌日である大福を10個、老夫婦ふたりきりで食いきれるはずがあるかと、渡してしまってから気がついてしまう。

 とても無頓着でありながら、とても感じやすい主人公である。自分がしでかしたケアレスミスを、ちゃんと分析し、ちゃんと落ち込む。そこが本書の可愛げである。自分のこれまでのひとりよがりを、彼は痛切に噛みしめる。

 そんな日々が小説家を変える。ものをもらったらお返しをするとか、訪れた人をもてなすとか、かつてなら面倒くさいのみだった双方向の人間関係を、少しずつ受け入れていく主人公。

 やがて、天真爛漫すぎる息子にも、とある闇があることが知れる。何も知らなかった自分を責める小説家。しかし、彼はすでに知っている。人と人とがともに生きていくにあたって、「遅すぎる」なんてことは、ひとつもありえないのだと。これまでが無色透明だったとしたら、これから、好きな色を塗り重ねていけばいい。カラフルなこれからを暗示させる着地点。春にピッタリの一冊だ。

(株式会社エムオン・エンタテインメント 1400円+税)=小川志津子

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