VIPインタビュー 二・二・キン・ゾー 歌手 モデル 超難関医科大卒業の才色兼備のポップシンガー 4年連続の‘‘プエドー”で森崎ウィンとコラボか ステージで見せるパワフルなパフォーマンスと同様に、お会いしてみると実に快活、頭脳明晰な方だった。4年連続で「日緬プエドー」の出場も決まり、今、人気絶頂にあるスターシンガーだけに、ご自身の仕事ぶり、夢について大いに語って頂いた。

ステージで見せるパワフルなパフォーマンスと同様に、お会いしてみると実に快活、頭脳明晰な方だった。4年連続で「日緬プエドー」の出場も決まり、今、人気絶頂にあるスターシンガーだけに、ご自身の仕事ぶり、夢について大いに語って頂いた。

VIPインタビュー 二・二・キン・ゾー 歌手 モデル 超難関医科大卒業の才色兼備のポップシンガー 4年連続の‘‘プエドー”で森崎ウィンとコラボか

日本と日本人に好感を持つ親日家

来月3日に「Thuwanna Bhumi Event park」行われる「日本ミャンマープエドー2019」に出場が決まった。今やこの国を代表するポップシンガーである。プエドーは今年を含めると4年連続で、第2回大会の2016年に平原綾香とデュエットした「未来へ」のパンチが効いた透き通るような歌声が忘れられない。
実は彼女とは初対面でない。2年前にマンダレーで行われた「ミスユニバース2017マンダレー代表選考会」の審査員を依頼されたとき、ゲストスターとしてステージに登場したのがNiNiさんだった。そのときに目の前で初めてライブの歌声を聴いたが、迫力のあるその歌唱力に聴き惚れてしまった。
翌日ヤンゴンへ帰るマンダレー空港でも再び顔を合わせ、同じ飛行機に乗り合わせた。今回、冒頭でそのことを申し上げても、彼女はうろ覚えであった。当然だろう、何しろ当時から彼女はミャンマーを代表する歌手として人気絶頂にあったから、この老いた日本人のことなど眼中になかったのかもしれない。
しかし実際にお会いして話を聞いてみると、NiNiさんは大の親日家であることが分かった。プエドー4年連続出場という実積もそうだが、日本人の友人知人は多いという。日本語も勉強中だと聞いた。
今回この対談の仲介をしていただいた友人の保芦宏亮氏(P28導を参照)によると、保芦氏の実家の東京の居酒屋で働いていたミャンマー人スタッフのお姉さんが、NiNiさんのお兄さんと付き合っていたという関係で、親しさせていただいているそうだ。その保芦氏も「凄い親日家です」と太鼓判を押す。

「2年前に初めて日本へ行きました。ミャンマー人の同胞の前で歌うことができ、皆さんに喜んでもらえました。日本は素晴らしかったです。特に鎌倉の大仏様を観たときは大感激しましたよ。」
アメリカにお兄さんがいる関係で米国渡航経験もあり、英語力も凄い。これまで対談した女性の中ではピカ一だ。ミャンマー訛りもなく、流暢な英語がよどみなく出てきた。

たぐまれな才能と歌唱力が開花する

彼女と音楽との本格的な出会いは、2008年19歳のときにテレビの歌番組「Melody World」に出場し、見事優勝してしまったことから始まる。小さいときからその歌唱力は評判だったが、この優勝で久々に歌のうまい大型新人が出現したと話題になった。
そしてすぐに音楽関係者の目に留まり、デビューを果たす。しかしこのとき彼女はヤンゴン第2医科大学に在学中だった。
「医者の道へ進むか、シンガーになるか、このときは本当に悩みました。」と、Ni Niさんこともなげに言うが、通常、ミャンマーで医者になることは並大抵の努力でできることではない。その登竜門となる医科大に入学するのでさえ、高校生の進学を決める全国一斉試験で上位に入らないと、受験資格さえ与えられないという。毎年100万人以上の受験者があるテストだけにこれにパスするには大変な努力が必要だろう。

「結論としては医科大を卒業して、本格的な歌手活動に入ろうと思いました。」
それは正しい選択だったようだ。音楽関係者は待ちかねたように、5年後の2013年12月にミャンマーで開催された「第27回SEAゲーム」のオープニングセレモニーで、彼女にテーマソングを歌う依頼をした。
むろんこの模様は全国放送され、「Ni Ni Khin Zaw」の名は、またたく間に全国に知れ渡った。「私たちは血でつながった国~」というフレーズは今でも口ずさまれるほど人々に親しまれている。その後、「第24回ASEANサミット」のテーマソングを歌い、2016年には「日緬プエドー」に招かれ、2017年にはヤンゴンで初めての「リサイタル」を開いた。彼女の人気と実力は不動のものとなる。

自身の口紅ブランドの 「Super Red」を発売

「『Khin Zaw』という名前は非常に男性的ですね、とよく聞かれます。実は母の名が『Ni Ni』で父が 『Khin Zaw』という名前なんです。両親が2人の名を私に贈ってくれたのです。Aung San Su Kyiさんの場合も、Aung San(父、将軍) Khin Kyi(母、元インド大使)と、ご両親の名前がついていますね。私の場合、『Ni Ni」とはミャンマー語で”赤い”という意味になりますが、とても気に入っているんですよ。」

2016年9月に『Super Red』というご自身のブランドの口紅の発売を決めたのも、お名前の”赤”にちなんだものだからだという。「A Shone Ma Pay Nae 」(あきらめてはいけない)というDVDを同時発売するなど、この口紅に対する思い入れは大きかった。
「私は化粧品販売の経験はありません。でも、私と私の兄弟はタイに行き、化粧品製造や成分について研究しました。私は化粧品、特に口紅が大好きです。 海外では、有名人をイメージキャラクターにした化粧品会社は沢山ありますが、残念ながらミャンマーにはありませんでした。」

そこで彼女は自分で化粧品会社を始める決断をしたという。キスが可能なマットリップ・リキッドリップスティックは、「Super Red Cosmetics」によって製造された最初の製品となった。
「私は自分の名前の”赤”を称えてブランド名を『Super Red』と名付けました。」そして彼女はメイクアップ・アーティストのMa Htet(Pop-Soul)とコラボした。口紅の色は赤(Diva)、ヌード(Flawless)、ピンク(Romance)、チョコレート(Classy)の4種類で、各9800Ks(約900円)で販売されている。
「私は口紅にはうるさいんです、自分で研究しましたし、タイとミャンマーの両方でFDAの承認も受けています。 安全で品質にこだわっているからです。」
同年10月8日に、ヤンゴンのジャンクションスクエアを皮切りに、 翌日はマンダレー、そしてパテイン、タウンジー、モンユワ、モーラミャインと、全国各地でプロモーションイベントも行った。Ni Niさんは決断したらとことん打ち込む性格だった。
今後の夢は、日本でも活動できるような歌手になりたいそうだ。プエドーの常連になり、快く出場を受けているのも、多くの日本人に知っていただく希望もあるようだ。
「今年は森崎ウィンさんとコラボできるかもね、、、。」彼女はこのプエドーの話題に触れると、こう言って茶目っ気たつぷりに微笑んだ。今からステージが楽しみになってきた。

<Ni Ni Khin Zaw 略歴>
生年月日 1991年 8月 31日 27歳
出身地 ミャンマー ヤンゴン
学歴 ヤンゴン第二医科大学卒業
キャリア 2008年「メロディーワールド」で優勝
「第27回SEAゲーム」 開会式でオープニングソングを歌う
「第24回ASEANサミット」のテーマソングを歌う
ミャンマー音楽賞(MMA)の2014年のベストポップソング:「 MyawlinchetTasontaya」
2014年最も人気のある女性歌手賞(City FM)選出
2014年のベストポップシンガー(MMA)に選出
2015年最も人気のある女性ボーカリスト(シティFM)に選出
スタジオミュージックアルバムがベストセラーに
2015年の女性ヴォーカリスト(シティFM)に選出 ほか

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