ボランティアで腹話術を披露すること18年。腹話術師のキャサリン野村(本名・野村佳子)さんは横浜市内の福祉施設を中心に1100回を超える公演を重ねてきた。「みんなが笑ってくれるから私も元気をもらえる」と振り返り、これからも感謝を込めて笑顔を届ける。
◆軽妙
「健太っていうんだじぇ。よろしくな」「桜っていうの。よろしくね」。相棒の「健太君」と「桜ちゃん」のあいさつで始まった腹話術。野村さんから「犬も歩けば…」とことわざの続きを問われ、「つかれるじぇ」「散歩する」と的外れな回答をする“二人”。横浜市港北区の福祉施設の観衆からはどっと笑いが起こった。
軽妙なやりとりで会話が進んでいくボランティア腹話術。野村さんは毎月約10回の公演を引き受ける。その道のりはしかし、平たんではなかった。
◆失意
6歳からピアノ教室に通い、ピアノと勉強に明け暮れる毎日。東京音楽大では特待生になり、全国の秀でた音大生だけが集まる演奏会の出演者にも選ばれた。「『私は人より上。誰にも負けない』と、いつしか周囲を見下すようになっていた」。卒業後は短大のピアノ講師となった。
転機は就職して4年目のとき。突然、右腕が動かなくなった。病院で「リウマチ」と診断された。治療を受けたが症状は一向に改善しない。職を失った。医師からは「切断するしかない」と告げられ、「失意のどん底に突き落とされた」。
帰り道、ビルの屋上に立った。「自殺しよう」。足を踏み出そうとした瞬間、恩師の言葉を思い起こした。「感情に流されそうになったときは、ひと呼吸置きなさい」。半生が走馬灯のように駆け巡り、思いとどまった。「わがままに生きてきた私に神様が与えた試練に違いない」
セカンドオピニオンとして訪れた別の病院で誤診だったことが判明。治療を受ける中、ピアノの代わりに始めた大正琴の教え子が老人ホームでボランティアコンサートを開いていることを知った。「これからは人のために生きよう」。自身も足を運ぶようになった。
◆転身
演奏を重ね、より楽しませる方法を模索する日々。2001年元日の番組で見た腹話術師「いっこく堂」の舞台に衝撃を受けた。「これだ」
すぐに人形を買い求め、演奏の合間に腹話術を取り入れた。芸の幅を広げようと始めたマジックの先生からは芸名をつけてもらった。
小学生時代、いじめられたこともあった。笑いを取り入れた演劇に救われた記憶がよみがえり、「もっと笑わせたい」と、腹話術師が活動の中心に。舞台を保育園や小学校など子ども向けに広げ、流行語大賞に選ばれたフレーズを取り入れるなど試行錯誤を重ねてきた。
腹話術の魅力を「『元気になった』『生きてて良かった』と喜んでくれること」と話し、ボランティアだからこそ「回数を重ねてこられた」と胸を張る。
夢は、腹話術の世界に飛び込むきっかけとなった「いっこく堂」との共演。さらなる高みを目指し、「これからもたくさんの笑顔を届けたい」。