平成を駆けた名馬たち~前編~

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平成を駆けた名馬たち~前編~

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31年間続いた平成という時代の中、数えきれないほどの競走馬たちがターフを駆け抜け、数多のドラマを魅せてくれました。 偉大なる記録を達成した駿馬。例え勝鞍は多くなくとも、ファンを魅了した良馬。不幸なめぐり合わせで、早世してしまった天馬。 本稿は平成の競馬界を盛り上げてくれた名馬たちに敬意を表し、三編に分けて勇姿を再現します

○オグリキャップ=昭和から平成にかけて競馬界を駆け抜けた「芦毛の怪物」。昭和62年、岐阜県の笠松競馬場でデビュー。勝鞍を積み重ね、昭和63年JRAへ移籍。健脚そのままに快勝を続け、4つのレースで当時のコースレコードを塗り替えた。平成2年の安田記念の勝利以降は苦戦の連続。しかし、引退レースとなる年末の有馬記念で若きスター武豊騎手を鞍上に臨み、ファンの期待に応える劇的な復活勝利。伝説を不動のものとした。平成22年没。写真は平成2年の有馬記念。

○ミホノブルボン=当時、栗東トレーニングセンターに設置された坂路を活かした戸山調教師のスパルタ教育で、素質が開花。平成4年の皐月賞、日本ダービーを圧倒的な逃げ切りで6戦6勝、無敗の2冠馬に。血統から来る距離不安説を一蹴した。菊花賞では生粋のステイヤー、ライスシャワーの前に②着となりシンボリルドルフ以来の3冠達成はならなかった。その後、脚部不安が続き、懸命に復帰を目指すも平成6年1月に現役を引退した。写真は平成4年の日本ダービー。

○ライスシャワー=平成3年デビュー。翌年の菊花賞ではクラシック3冠を狙ったミホノブルボンをレコード勝ちでねじ伏せたのみにとどまらず、平成5年の天皇賞(春)もレコード勝ちを決め、メジロマックイーンの春天3連覇をストップ。「黒い刺客」、「レコードブレイカー」……数々の異名がついた。平成7年の春天も制したが、悲運は突然訪れた。京都競馬場で行われた宝塚記念のレース中に骨折、転倒。施す術なく予後不良と診断され、ターフにて非業の死を遂げた。淀に咲き、淀に散った名ステイヤーとして記憶に刻まれている。写真は平成4年の菊花賞。

○メジロパーマー=平成4年に大ブレークした。2度の骨折から復帰し、一時は障害レースにも出走していた。山田泰誠騎手とのコンビで新潟大賞典を勝利し、迎えた宝塚記念を9番人気ながら大逃げで勝利。その後のレースを大敗したため、宝塚記念はフロック視された。年末の有馬記念では16頭立ての15番人気。ダイタクヘリオスとの壮絶なハナの奪い合いを続けながらスパート。最後の直線、追い込んできたレガシーワールドを鼻差で抑えてグランプリレースを連覇。馬連3万円超えの大万馬券を演出し、ファンの度肝を抜いた。写真は平成4年の有馬記念。

○ウイニングチケット=平成4年、名門・伊藤雄二厩舎からデビュー。平成5年に出走した日本ダービーでは猛追する好敵手ビワハヤヒデ、ナリタタイシンらを抑えて見事に制覇。鞍上の柴田政人騎手をダービージョッキーに押し上げた。平成6年の天皇賞(秋)で⑧着に敗れ、またレース中に屈腱炎を発症していたために翌日に引退。写真は平成5年の日本ダービー。

○メジロマックイーン=無尽蔵のスタミナを有した希代のステイヤー。今で言う明け3歳となる平成2年2月にデビュー。出世は遅れたものの、3冠レースの最後である菊花賞を勝利。翌年、武豊騎手を背に天皇賞(春)を制し、祖父メジロアサマ、父メジロティターンに続く父子3代春天制覇を成し遂げた。絶対的な強さを誇ったが、秋の天皇賞では圧倒的1番人気で1位入線を果たすも、スタート直後の斜行が原因で前代未聞の⑱着降着。辛酸を嘗めた。しかしながら翌平成4年、春天を連覇。豊かなスタミナ、操縦性を武器に中長距離の雄として君臨した。引退後、種牡馬として活躍。また〝母の父〟としてもドリームジャーニー、オルフェーヴル、ゴールドシップなどGⅠ馬にメジロの血は脈々と受け継がれている。写真は平成5年の宝塚記念。

○ナイスネイチャ=平成2年デビュー。競走馬生活はGⅠ未勝利に終わるも、長きに渡りGⅠ制覇への挑戦を続けた。特筆すべきは5年連続となった有馬記念出走で、平成3年、4年、5年では3年連続して③着! 稀有な記録を生み出し、「ブロンズコレクター」の称呼が定着。ひたむきにビッグレースへ挑む姿に多くのファンが声援を送った。GⅠ勝ちは無くとも獲得賞金は6億円を超え、善戦マンながら〝無事之名馬也〟を地で行った。写真は平成5年の高松宮杯。

○ビワハヤヒデ=平成4年デビュー。デビュー以来15戦連続連対記録を持ち、平成6年の天皇賞(秋)の⑤着まで現役生活で掲示板を外したことは一度もなかったが、故障が判明し、このレースを最後に引退。平成5年の菊花賞、平成6年の天皇賞(春)と宝塚記念を制し、GⅠ3勝。半弟ナリタブライアンと共に活躍。特徴的な大きな顔だけでなく存在感も大きな名馬だった。写真は平成5年の菊花賞。

○トウカイテイオー=平成2年デビュー。幾度ものケガ、2度の剥離骨折にも負けずGⅠ4勝を挙げた「不屈の帝王」。平成5年の有馬記念制覇は、前年の有馬記念(⑪着)から休養を経て、実に363日ぶりの勝利。奇跡の復活劇に涙したファンは多い。長期休養明けGⅠ復活勝利の最長記録は、現在も破られていない。平成25年に25歳で生涯を閉じた。写真は平成5年の有馬記念。

○ノースフライト=マイル戦5戦5勝の「マイルの女王」。体質の弱さからデビューが遅れ、入厩したのは平成5年の年が明けてからであった。5月の新潟未出走戦でデビューして圧勝。エリザベス女王杯への出走を目指すも、賞金が足らずに府中牝馬Sへ。古馬との戦いに挑み勝利し、初のGⅠ出走となったエリザベス女王杯ではホクトベガの②着。翌年の安田記念では前哨戦の京王杯SCを上位独占した外国馬が大挙出走する中、出遅れを挽回し、牡馬、外国勢を差し切りGⅠホースの仲間入りを果たした。引退レースとなったマイルCSでは、前走のスワンSで敗れたサクラバクシンオーとのたたき合いを制し、GⅠ2勝目を挙げ、平成6年の5歳以上最優秀牝馬に選出された。写真は平成6年の安田記念。

○サクラバクシンオー=平成4年1月にデビュー。距離の壁からクラシックレースとは無縁だったが、短距離戦で着実に勝ち星を積み上げ、暮れのスプリンターズSでGⅠ競走初出走。⑥着と敗れたこの一戦が1400㍍以下の距離で敗北を喫した唯一のレースとなる。翌年、脚部不安からの復帰戦となったオータムスプリントSで勝利し、迎えた3戦後のスプリンターズSを勝利してGⅠ初制覇。翌平成6年、スワンSでは59㌔の斤量を物ともせず、日本史上初の芝1400㍍で1分20秒の壁を破る1分19秒9のレコードでV。引退レースとなったスプリンターズSでは単勝1.6倍と圧倒的支持の中、他馬を圧倒するレコード勝ちで連覇し、有終の美を飾った。1400㍍以下では12戦11勝。引退後は種牡馬としてその快速ぶりを後世に伝えた。平成23年に心不全のためけい養先の社台スタリオンステーションで世を去った。写真は平成6年のスプリンターズS。

○ナリタブライアン=平成5年デビュー。半兄はビワハヤヒデで、「シャドーロールの怪物」と親しまれた。朝日杯3歳Sで初のGⅠ勝利を挙げ、翌年のクラシックでは計15馬身半差をつける圧勝に次ぐ圧勝で、シンボリルドルフ以来の5頭目の3冠馬となった。有馬記念でも勝利し、年度代表馬に選出された。平成7年、阪神大賞典を勝利するも右股関節炎を発症して天皇賞(春)を断念。天皇賞(秋)で復帰し、1番人気に支持されるも⑫着と大敗した。6歳を迎え、阪神大賞典ではマヤノトップガンとのマッチレースを制し、天皇賞(春)はサクラローレルの②着。距離を1200㍍へ大幅に短縮して挑んだ高松宮杯は④着に終わり、その後、屈腱炎を発症して引退を余儀なくされた。写真は平成6年の有馬記念。

○ホクトベガ=平成5年デビュー。同年エリザベス女王杯を9番人気で制すも、本領発揮はその1年半後から。不振に悩む中、平成7年の川崎競馬場で行われたダート戦・エンプレス杯で3秒6差をつけてぶっちぎりの優勝。この勝利で開眼したかのように、出走するダート戦では快勝を続け、「砂の女王」の称号を得た。迎えた平成9年、引退レースとして選んだドバイワールドカップに出走するも、最終コーナーで転倒。左前腕節部複雑骨折による予後不良と診断され、現地で安楽死の処置が取られた。写真は平成8年のフェブラリーS(当時はGⅡ)。

○サクラローレル=平成6年に境勝太郎厩舎からデビュー。3戦目で初勝利を挙げ、翌年明けには中山金杯を制した。しかし、天皇賞(春)を目指した栗東トレセンでの調教中に骨折。引退もある重症の中、陣営は諦めず治療、現役続行を選択。1年あまりの休養を経て臨んだ中山記念で復活勝利を果たし、続く春天も勝利して念願のGⅠ馬に。同年の有馬記念も2馬身半差で圧勝し、年度代表馬にも選出され、「遅咲きサクラ」の粋な称号がついた。写真は平成8年の天皇賞(春)。

○エアグルーヴ=平成7年デビュー。翌年の桜花賞は熱発で回避しながらも、オークスでV。昭和58年の母ダイナカールに次ぐ、母娘でのオークス制覇を達成。平成9年の天皇賞(秋)ではバブルガムフェローとの一騎打ちを制し、牝馬として17年ぶりの盾制覇となった。牡馬に劣らぬ馬体と勝負根性を持ち合わせ、数々の名勝負を演じた事から「女帝」と称される。平成25年、繋養先にて逝去。写真は平成8年のオークス。

○マヤノトップガン=平成7年デビュー。4戦目にして初勝利。当初はダート戦を使っていたが、芝に路線変更して素質が開花。以降、出走したレースで掲示板を外したのは一度のみという、安定した結果を積み上げる。菊花賞、有馬記念を制し、やがて迎えた平成9年の天皇賞(春)では前方を進む強敵サクラローレル、マーベラスサンデーらを大外から弾丸の如く一気に突き抜けて豪快なレコード勝ち。平成を代表する名勝負を魅せた。写真はその平成9年の天皇賞(春)。