平成を駆けた名馬たち~中編~

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平成を駆けた名馬たち~中編~

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スペシャルウイークが武豊騎手を念願のダービージョッキーへと押し上げた、平成10年の日本ダービー。 自身最終レースとして挑んだ平成12年の香港ヴァースで、悲願のGⅠ初優勝を果たしたステイゴールド。 平成18年にはディープインパクトが7冠達成。 中編では平成10年から平成19年にかけてターフを駆けた名馬と、競走成績だけでは測れない、存在感を見せてくれた名馬を集めました。

○スペシャルウィーク=平成9年デビュー。11月29日、阪神競馬場で行われた新馬戦を余裕の初勝利で飾る。1冠目の皐月賞は③着。5戦3勝で臨んだ日本ダービーを5馬身差で圧勝。12年目を迎え、デビューからコンビを組んできた武豊騎手へ悲願のダービー制覇をもたらした。勝ち鞍10のうち、GⅠ4勝の好成績を残したサンデーサイレンス産駒。種牡馬としても名牝ブエナビスタを輩出するなど活躍するも平成30年に世を去った。写真は平成10年の日本ダービー。

○タイキシャトル=平成6年に米国で生まれる。デビュー前のゲート試験に2度も落ち、ひと足遅れの平成9年4月のデビューとなったが、その初戦で②着馬に4馬身をつける圧勝で飾る。この勝利を皮切りに驚異的な戦績、国内外のGⅠ5勝を含む、13戦11勝を挙げる。特筆すべきは平成10年8月にフランスにて行われたGⅠジャック・ル・マロワ賞に臨み、見事制覇。1週前のシーキングザパール(モーリス・ド・ゲスト賞①着)と共に海外のホースマンに日本調教馬の名を知らしめる。また、鞍上の岡部騎手へ涙の海外GⅠ初勝利を捧げた。写真は平成10年の安田記念。

○サイレンススズカ=平成9年デビューのサンデーサイレンス産駒。平成10年にはGⅠ宝塚記念、GⅡ毎日王冠を含む怒涛の6連勝。他を圧倒する逃げでファンの心を掴む。ただし、単勝1.2倍、満を持して臨んだ天皇賞(秋)で悲劇は起きた。第3コーナーを過ぎた辺りで故障を発症して競走中止。左前脚の手根骨粉砕骨折の重症で予後不良と診断され、安楽死の処置が取られた。類稀な大逃げと衰えぬ持久力を持ち合わせたスピードスターの名は、今も語り継がれている。写真は平成10年の毎日王冠。

○エルコンドルパサー=平成7年、米国生まれ。平成9年11月にデビュー。翌年のNHKマイルC、ジャパンCを制した。平成11年にはフランスへ長期遠征。仏GⅠサンクルー大賞、GⅡフォワ賞を勝ち進んだのち、欧州競馬の最高峰とされる凱旋門賞に挑み、モンジューの半馬身差②着と健闘。その活躍ぶりから同年は日本で不出走だったにも関わらず年度代表馬となった。平成12年より種牡馬生活に入るも、3年目の平成14年7月、腸捻転により急逝。7歳という短い生涯に幕を閉じた。写真は平成10年のジャパンカップ。

○メイセイオペラ=平成6年に生を受けた「地方の雄」。平成8年7月27日、盛岡競馬場でデビュー勝ち。そこからGⅠ南部杯を含む地方16勝を挙げ、平成11年1月31日、東京競馬場で行われたダートGⅠフェブラリーSで中央初出走。岩手の菅原勲騎手とのコンビは2番人気に推され、危なげないレース運びから優勝。地方所属馬により史上初のJRAGⅠ制覇となった。ウイニングランでは全国から駆けつけたファンから〝イサオコール〟が響き渡った。このメイセイの勝利以降、地方馬による中央GⅠ勝ち馬は出ていない。写真は平成11年のフェブラリーS。

○グラスワンダー=平成7年、米国生まれ。平成9年のデビュー以降、勝ち星を積み重ね、同年の朝日杯3歳Sではレコード勝ち。「JRA史上最強の2歳馬」とも呼ばれた。翌年春には右後肢の骨折に見舞われたが、秋には復帰して有馬記念で史上初となる外国産馬としての優勝を決めた。平成11年にも怪我はあったが、負けずに宝塚記念と有馬記念を制してグランプリ3連覇を達成した。平成17年の宝塚記念(⑥着)を最後に引退。種牡馬としてスクリーンヒーロー、アーネストリーらのGⅠ馬を輩出した。写真は平成11年の宝塚記念。

○ステイゴールド=平成8年、池江泰郎厩舎からデビュー。GⅠ3戦連続の②着など惜敗、善戦を積み重ね、念願の重賞初勝利は平成12年のGⅡ目黒記念。翌年には海外遠征し、GⅡドバイシーマクラシックで日本調教馬としてドバイ重賞初優勝。更に平成13年、引退レースとして挑んだGⅠ香港ヴァーズで悲願のGⅠ制覇を果たした。引退後は種牡馬としてオルフェーヴル、ゴールドシップ、オジュウチョウサンなどの優駿を輩出。大器晩成の生涯を歩んだ。平成27年、21歳で逝去。写真は平成13年、香港ヴァーズ・GⅠ(香港ジョッキーズクラブ提供)

○テイエムオペラオー=平成10年デビュー。翌年の皐月賞を皮切りにJRAGⅠレースで通算7勝。和田騎手とのコンビで好敵手メイショウドトウらと数々の名勝負を繰り広げた。平成12年には8戦8勝の年間無敗記録を樹立。平成29年のアロゲートにやぶられるまで獲得賞金額世界記録(18億3518万9000円)のタイトルホルダーの座を永らく保持した。平成30年没。写真は平成12年の有馬記念。

○マンハッタンカフェ=平成13年デビューのサンデーサイレンス産駒。同年の夏に調子を上げ、秋の菊花賞を重賞未勝利ながらV。年末の有馬記念でも勢いそのまま、人気のテイエムオペラオーやメイショウドトウらの古馬勢をやぶり、GⅠ2連勝。平成14年には同馬を管理する小島太調教師が騎手時代に勝つことができなかった天皇賞(春)を制覇。GⅠ3勝を挙げた。種牡馬としても活躍したが平成27年夏に逝去した。写真は平成13年菊花賞。

○クロフネ=アメリカ産のフレンチデピュティ産駒。日本開国を迫ったペリー率いる船団の通称「黒船」を肖らんと、金子真人オーナーから勇ましい名を授かった。平成12年、松田国英厩舎からデビュー。平成13年のNHKマイルCでGⅠ初制覇。その秋には天皇賞(秋)で外国馬に設けられた出走2枠に入らなかったことを機にダートへ路線変更。武蔵野S、ジャパンカップダートは共に②着馬を1秒以上も離してレコード勝ち。その圧巻ぶりから「日本競馬史上のダート最強馬」と評されたが屈腱炎のため早すぎる3歳での引退となった。写真は平成13年のジャパンカップダート。

○アグネスタキオン=名の由来は「超高速の粒子」。平成10年、兄にダービー馬アグネスフライト、母は桜花賞馬アグネスフローラ、祖母はオークス馬アグネスレディーと超一流の血脈で生を受ける。3番人気で迎えたデビュー戦を圧勝。次戦のラジオたんぱ杯3歳Sではクロフネ、ジャングルポケットといったのちの名馬との対決をスピードで圧倒して2連勝。翌年は、道悪の弥生賞も5馬身差で勝利し、危なげなく4戦全勝で皐月賞を制した。3冠間違いなしと思われた矢先、ダービー前に左前浅屈腱炎を発症し、惜しまれながら引退した。種牡馬としてダイワスカーレット、ディープスカイなどの活躍馬を多数輩出。自身のスピードを後世に伝えたが、平成21年6月、「音速の貴公子」は11歳という若さでこの世を去った。写真は平成13年の皐月賞。

○キングカメハメハ=平成15年デビュー。翌年の初重賞制覇となるGⅢ毎日杯勝ちからNHKマイルC、日本ダービーをともにレコードで制し、変則2冠を達成。秋のGⅡ神戸新聞杯も勝ったが屈腱炎を発症し、早期引退。ただし、輝かしい歴史はまだ終わらず、種牡馬となった以降は競走馬の一大血脈サンデーサイレンス系の血を持たないことから、インブリードを避ける上で貴重な存在に。記録的な種付け数、数多の優駿を輩出した。写真は平成14年の日本ダービー。

○シンボリクリスエス=米国生まれの外国産馬。平成13年に名門・藤沢和雄厩舎からデビュー。3歳秋には天皇賞(秋)、有馬記念を制し、翌年もこの両GⅠを連覇した。特に、天皇賞(秋)の連覇は史上初の快挙、引退レースとなった有馬記念では9馬身差をつけてのレコード勝ちで有終の美を飾り、文句なしに2年連続して年度代表馬に選出された。写真は平成15年の天皇賞(秋・写真上)と、同年の有馬記念(写真下)。

○スイープトウショウ=平成15年デビュー。3歳秋の秋華賞を制してGⅠ馬に。以降、切れ味鋭い末脚で平成17年の宝塚記念やエリザベス女王杯とGⅠ3勝を積み上げた。ただし、気難しい気性で調教がお気に召さないのか、栗東トレセン・坂路コースの入り口で石像の如くピタリと止まり、歩かなくなる悪癖があった。テコでも動かない様子はお馴染みの光景となり、調教が中止されたことも。これには厩舎スタッフは勿論のこと、記者、カメラマンをも苦笑いさせた。なかなかの気まぐれお嬢様であった。写真は平成16年の秋華賞。

○カネヒキリ=平成16年、角居勝彦厩舎からデビュー。2歳時は芝で苦戦するものの、明け3歳となった平成17年2月13日の京都競馬場で初めて臨んだダート戦で7馬身差をつけて快勝。ここから水を得た魚の如く、砂上の快進撃が始まり、同年のジャパンカップダートも制した。屈腱炎や骨折と幾度もの怪我にも負けず、不屈の魂で積み上げた勝ち鞍は延べ「12」。全てをダート戦で勝ち取った。同世代で同じ勝負服でもあったディープインパクトと姿を重ね「砂のディープインパクト」とも呼ばれた。平成28年没。写真は平成18年のフェブラリーS。

○ディープインパクト=その名の通り、競馬ファンのみならず世間に「深い衝撃」を与えたスーパーホース。〝飛ぶように走る〟と称されたフットワークで後方からの追い込みを得意とした。クラシック3冠、GⅠ7勝、国内戦連対率100%……数々の輝かしい戦績を残す。唯一、国内で負けたのは平成7年の有馬記念(②着)。スタンドからは悲鳴があがったほど。平成18年の有馬記念で有終の美を飾り、惜しまれつつ引退。種牡馬入りしてからも数多の優駿を送り出し、父としても驚異的な成績を積み上げている。写真は平成18年の有馬記念。