【アイルトン・セナの思い出】PART8:1994年、セナはシューマッハーが所属していたベネトンを疑惑の目で見ていた

 5月1日で、レース界の伝説アイルトン・セナが死去してから25年になる。1994年のサンマリノGPの週末は酷いものだった。ローランド・ラッツェンバーガーが予選中に事故で死亡し、翌日には決勝レース中に、セナが単独クラッシュで命を失ったのだ。

 元マクラーレンの会長兼CEOのロン・デニスは、1988年から1993年にかけてマクラーレンに在籍し、3度の世界タイトルをチームにもたらしたセナについて、多くの思い出を持っている。

 これは本シリーズにおける、セナについてのデニスの8回目の談話だ。

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「私はあの日のことに個人的に対処するために、確固たるアプローチをとっている」とデニスは、セナがクラッシュした1994年5月1日について語った。

「感情的に捕らわれた時、私は出来事について考え抜いて区分し、それを心の中の特別な場所にしまうことで対処する。そうして人生に集中するのだ」

「アイルトンは、起きたことを何も変えようとはしないだろう。彼は情熱を抱いていたレースの最中に命を落とした。他のドライバーや一般人が日頃楽しむような多くのことを排除するのが彼の人生だった。彼は完全にレースに専心し、集中していた」

「そしてレースと勝利による大きな満足感と、気持ちが高揚するような経験を得ていた。レースでの勝利だけでなく、素晴らしい予選ラップや、もちろん世界選手権からも、どれだけの興奮を得ていたかという点で、彼は他に類のない存在だった」

「彼にとってレースは常に感情的なジェットコースターだったのだ。彼はどこにいても心地よく感じることがなかった。彼はたいていの時、とても気難しい状態だった」

 セナはミハエル・シューマッハーのことをどう思っていたのだろうか?

「アイルトンは、F1がいかなる手段を講じてでも勝つという側面があると感じていた」とデニスは語った。

「そしてそうした部類に属する人々のグループがいた。ドライバーだけでなく、チームの一部や、あるチーム全体がそうだったこともある。アイルトンは、ミハエルは間違いなくその部類に属すると考えていた」

「それはF1におけるアイルトンのやり方ではなかった。手段を選ばずに勝つということが、F1において、私や私のチームのやり方であったことは決してない。私はミハエルはその部類の人間だったと考えている。それについて詳しい話をしようとは思わないがね」

 詳細は語らないものの、デニスが言わんとしているのは、シューマッハーの所属していたベネトンが、1994年にマシンにトラクションコントロールなどの違法な装置を使用して不正を働いていたことを、セナが確信していたということだ。

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