【アイルトン・セナの思い出】PART9:ブラジルの現状を変えたいという思いを引き継いだセナ財団

 5月1日で、レース界の伝説アイルトン・セナが死去してから25年になる。1994年のサンマリノGPの週末は酷いものだった。ローランド・ラッツェンバーガーが予選中に事故で死亡し、翌日には決勝レース中に、セナが単独クラッシュで命を失ったのだ。

 元マクラーレンの会長兼CEOのロン・デニスは、1988年から1993年にかけてマクラーレンに在籍し、3度の世界タイトルをチームにもたらしたセナについて、多くの思い出を持っている。

 これは本シリーズにおける、セナについてのデニスの9回目の談話だ。

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 もし、あの事故がなければ、セナはどれくらい長くレースを続けていただろうか?

「延々と続けるつもりはなかったのは確かだろう」とデニスは語った。

「だがアイルトンが引退の計画を持っていたとは思わない。ただ、彼はいつもブラジルに強く引き付けられていた。彼はブラジルに戻るために、とてつもなく長い距離を移動していたんだ」

「彼がヨーロッパからの直行便もないような所から、途方もない旅をしていたことを覚えているよ。24時間かけて家に帰っていたんだ。重要なミーティングでもあるのかと彼に聞いたら、彼は『そうじゃない。僕はただブラジルにいたいんだ』と答えたのだ」

「彼は自分の飛行機を買っていたが、ブラジルに戻るのに3、4カ所を経由しなければならなかった。それでも彼は気にしていなかった。ブラジルに戻ることが彼にとって非常に重要だったのだ」

「彼はブラジル人であることを誇りに思っていたし、ブラジルの状況を変えることができるかもしれないということを、強く意識してもいた。そうしたことは彼にとって魅力的だったのだ。彼はブラジルに変化をもたらすことができただろうし、実際に慈善活動をしていた。セナ財団は彼の遺産で設立されたものだが、(彼の姉妹の)ビビアナが作ったものではない。彼女はただ彼が始めたものを引き継いだのだ」

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