1度は野球を諦めた苦悩の選手 四国独立L「エイトマン」が手にした野球ができる喜び

愛媛マンダリンパイレーツに入団した梶栄斗【写真:本人提供】

愛媛マンダリンパイレーツに入団した梶栄斗

 野球選手にはそれぞれ独自の経歴があり、中には1度は野球から離れたが再びグラウンドに戻ってきた選手もいる。その1人が梶栄斗外野手だ。

 梶は兵庫県出身で走攻守三拍子揃った左打ちの外野手。平成8年8月8日生まれで名前が「栄斗」という理由から「エイトマン」の愛称で親しまれている。市尼崎高時代には主軸としてチームをけん引し、県内屈指の選手として注目を浴びた。卒業後は中央大、米国でのプレーを経て今季から四国アイランドリーグの愛媛マンダリンパイレーツに入団した。

 デビュー戦となった4月20日の高知ファイティングドッグス戦では「5番・指名打者」としてスタメン出場すると3打数1安打1得点。翌日の香川オリーブガイナーズ戦では盗塁を決めるなど幸先のよいスタートを切った。結果を残し、彼の表情は安堵と喜びに満ち溢れていた。

 無事に独立リーグデビューを飾った梶だが、遡ること1年半前、彼は野球から距離を置いていたという。その理由について梶は当時を思い出すようにゆっくりとした口調で次のように話した。

「大学時代、トミー・ジョン手術をしたこともありスタートが遅れ、感覚が鈍り中々自分の実力を発揮することができずにいましたが、そこからうまく立て直しコンスタントに打てるようになりました。しかし、チームの方針とプレースタイルの不一致があり、対応できずに最終的には自分の野球を見失っていました。そこからは試合でいいプレーをしようが、三振しようが何も感じなくなってしまった自分がいました」

 梶自身、このような気持ちになったのは初めて。誰にも相談できないまま、ただ時間だけが過ぎていった。そして3年春のリーグ戦終了後には「このまま野球を続けるべきか」と考えるまで追い込まれていた。そして結果、梶は野球以外の世界を知るためにプレーをしないと決断した。

一度は野球を諦めスポーツクラブのインストラクターとして働く

 その後、スポーツクラブのインストラクターとして働き始める。そこでは接客や筋力トレーニング方法、栄養など多くのことを学ぶ。野球とは違う環境で共に働くスタッフや出会った人々と時間を過ごしていくうちに梶は人生に希望を持てるようになった。

「(スポーツクラブの)社員の方々や会員さんから多くの良い事を学びました。心が折れていた僕にとってそこは本当に救いで希望になりました。また、目標達成へのプロセスの作り方、心構え、行動への移しかた、生き方などを教えてくださる会員さんもたくさんいらっしゃいました」

 働くうちに梶はなぜ大学野球で自身が活躍できなかったのかその原因を明確にすると同時にこれまでの指導者が「自分を客観的にみる大切さ」を説いていた意味を理解することができたという。

 こうして自身を見つめ直す機会を得た梶に転機が訪れる。東京を訪れた親戚からもう1度、野球をすることを勧められる。この話を聞いたとき、心が揺れたものの半信半疑だった。このことを親友に相談すると「もう1度、野球をしている栄斗を見たい」と温かい言葉をもらい、動いてみることに。そして久々にバットを振ってみると手ごたえを感じたという。その後も両親や周りの後押しもあり、再び野球の世界に身を投じることになった。

 再び野球をすることを決めた梶は知人から色川冬馬氏を紹介される。色川氏は選手として米国でプレーし、指導者としてもアジア3か国で代表監督を務めた経験を持つ。梶と出会った当時は米国での試合を通じてプロ契約を目指すトラベリングチーム「アジアンブリーズ」の選手募集を行っていた。梶は色川氏の野球への熱い想いを聞くうちに憧れを持つと同時に自分が変われる機会だと思い、アジアンブリーズへの参加を決めた。

アジアンブリーズで得たものとは「恥をかくのを恐れていた自分が哀れだった」

 アジアンブリーズは日本人選手だけではなく、香港やフィンランド出身の選手も所属した多国籍軍。MLBのマイナーチームやメキシカンリーグチームなどと対戦し、個々の力をアピールする機会が用意された。梶は当初、海外の投手特有の動く球に苦戦するもスイングを修正するなど試行錯誤を行った結果、徐々に長打を打てる場面が増えた。また、コーチ陣の手厚い指導のおかげもあり、打率.333(24打数8安打)1打点1盗塁の成績を残した。

 梶にアジアンブリーズを振り返ってもらうと満足した表情で次のように語った。

「アジアンブリーズでは本当に多くのことを学び、多くのギフトを頂きました。こんなに野球が楽しい、好きだと思ったのは小学校で野球を始めたときぶりだったと思います。一度野球を離れ、1年半のブランクもあって正直アメリカの高いレベルでプレーできるかも分からなかったですし、怖さもあった挑戦でした。しかし、あの野球をしていなかった期間で様々なことを学び、恥をかくのを恐れていた自分が哀れだったと気づいたそのときに挑戦を決意したことが今に繋がりました」

 これは苦しみ、野球から離れた経験がある梶だからこそ溢れだした心からの叫びだろう。両親をはじめ、周りの支えがあって再びプレーすることができた喜び、挑戦する機会を得た今だからこその感謝の気持ちだ。「今後も僕を変えてくれたこのビックイベントがこれからもどんどん続いていってほしい。そして変わるきっかけを与え続けてほしいなと思いました。本当にアジアンブリーズに行ってよかったです。冬馬さんにこのようなチャンスをくださって心から感謝しています」と笑顔で話した。

 こうした海外での経験を得て今年は愛媛の一員として打棒を振るう。リーグ戦では圧倒的な存在感をみせる活躍をすると同時に今年のNPBドラフト会議で指名されることを目標にプレーするという。また、リーグ中盤には選抜チームとして米国遠征の機会があり、選出されればアジアンブリーズでチームメイトだった選手と対戦する可能性があるという。彼らとの再会を期待しながら愛媛の「エイトマン」は今後も心から野球を楽しむ。(豊川遼 / Ryo Toyokawa)

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