「脱出の自由」はあるか 小説・研究・現実の符号 不可視の天皇制(8)

By 佐々木央

1992年9月18日、常念岳山頂の日の出

 作家の赤坂真理の近刊「箱の中の天皇」は、天皇制を正面から扱っている。現代を生きる主人公の女性マリが、時空を超えて、GHQを率いるダグラス・マッカーサーと論争する場面も描かれる。その一部を引用する(分かりやすくするために、発言の前に発言者を補い、マリは「M」、マッカーサーは「D」と表記する)。

 M「あなたが守りたいのは、民主主義なの?」

 D「アメリカが超大国になること(中略)。そして超大国が得たひとつのトロフィーが、ここ、日本なのだよ」

 M「ここが? ここを平和な国にするということが、トロフィー?」

 D「お前はおめでたいな。傀儡(かいらい)国家を持つというのが、超大国の夢だ。植民地と非難されることも一切なく、独立運動を起こされることもなく、言いなりになる国家。幾度首相が代わろうと、われらの人形で」

 M「でも天皇がいる」

 D「だから利用した。天皇こそが、人形だよ。あんなに使い勝手のいい人形はない。だってもとから人形だから」

 M「でも国民は、黙っていないのではないかしら」

 D「国民だって、天皇を利用してきた。日本の歴史はある意味、天皇の利用の歴史だ。天皇の利用の仕方を、ひとえに洗練させてきたのが日本史だ。わたしは、君たちの歴史に学んだだけだ」

 ▽天皇をいただく傀儡国家

 作家の問題意識は鮮明だ。戦後の日本は米国に従属し、独立国家とはいえないのではないか。確かに、日米安保条約や地位協定をひもとくとき、あるいは戦後日本の外交や政治の選択を通観するとき、その感は強い。

 傀儡とは操り人形のこと。そういえば、1932年に建てた傀儡国家・満州国で、日本は清朝最後の皇帝をトップ(傀儡)に据えたのだった。

 ほとんどのメディアがこの間、看過してきた論点も、赤坂は外さない。物語の終盤、退位の意向を示唆した「ビデオメッセージ」の収録現場で、マッカーサーが口を挟む。

 「よう、ヒロヒトの息子よ、『わたくしの立場が憲法上に規定されわたくしの自由がないのは、憲法の基本的人権に照らして違憲ではないのか』という問いをあなたは出してもいいのだぞ? 民主主義はそれを許容する。少なくともわたしたちは。日本国憲法を書いたわたしたちは、それを聞く用意がある」

 作家の想像力が生みだした挑発的な呼びかけは、日本国民への問いでもあろう。人間を「象徴」として半ば物化することで、人権を否定しつつ崇めるという矛盾を、わたしたちは「国民の総意」(憲法第1条)として支え、いま、寿いでさえいる。

 退位の意向「ビデオメッセージ」は、この核心に刺さっている。制度自体を「否」とする異議申し立てではないが、せめて辞めさせてほしい、その道を考えてほしいと。

 ▽自由は潤沢か

 この問いは2005年刊の著書「『萬世一系』の研究」で憲法学者・奥平康弘が提起した「脱出の自由」と重なる。奥平は序章で次のように説く。

 -憲法理論のうえでじつは、「ひとの自由」にとってのいわばさいごの切り札、とっておきの自由として、「脱出の自由」(right to “exit”)が確保されているか否かは、存外に大事なことである。(中略)<ひとがいま、あるところ、あることで、不自由を強いられている>場合、自由を回復できるに越したことはないが、それが叶わぬとなったら、せめて次善の策として、そのひとにはこの不自由的状況から「脱け出す自由」があるべきではなかろうか-

 奥平の想定する「脱出の自由」は、今回の「退位-上皇就位」のような形ではないことは、終章で示される。「脱出」はすべての特権の放棄を意味しているのだ。

 「脱出の自由」が日本の法律学の世界でほとんど意識されていないと指摘する部分では、理由として「たぶん日本には『ひとの自由』が潤沢に在るからなのだろう!」と述べる。これは修辞疑問であろう。日本には「ひとの自由」が潤沢ではない。それなのに、この最後の権利を顧慮しないとはどういうことか。そう言いたかったのだと思う。

 天皇の人間的自由を「国民の総意」で踏みにじることができるなら、ほかの少数者・弱者についても、その犠牲をいとわない社会になり得る。何しろ、天皇は日本社会の象徴なのだから。

 ▽登山の食事に刺し身

 1991年2月、立太子の礼があり、共同通信は「素顔の皇太子」と題して3回の連載を配信した。わたしは2回目を担当し、その中で皇太子の登山について、次のように書いた。

 -登山ひとつとっても、安全を最優先する側近、警備陣の意向もあって、一般登山客との触れ合いは制限されている。皇太子の登山が決まると、担当の県警本部は周到に下見を重ねた上、危険個所を整備するなど安全策を講じる。登山中、皇太子の前後は侍従や警備担当者20人以上がガードする。厳重に管理され、細かい点までもおぜん立てされた登山だ。山中の食事に、わざわざ下から運び上げたマグロの刺し身が出され、同行メンバーを驚かせたこともあった。登頂後の皇太子の感想はいつも「山を満喫した。楽しかった」というだけ。しかし、側近の一人は「あれでは本来の登山の姿ではない。殿下もよく分かっているが立場上(仕方ないと)あきらめているようだ」と気持ちを代弁する(改行省略)-

 1992年、北アルプス縦走に同行取材した。初秋だったが、そこそこきつく、皇太子の側近護衛の責任者である皇宮警察の護衛2課長が途中で脱落した。

 皇太子(現天皇)の登山歴を見ると、危険な冬山に登ることは許されないようだ。お付きが次々、リタイアするようでは困るし、何より本人に万が一のことがあってはならない。

 「脱出の自由」に戻る。奥平は2014年、ビデオメッセージを聞くことなく没した。「『萬世一系』の研究」の刊行はそれを10年近くさかのぼる。優れた学者の予言的な慧眼に驚くほかはない。

 人は言うかもしれない。「皇位からの脱出は結局、実現したではないか」と。だが、退位を認めない皇室典範には手を付けず、特例法によって、特例として認められたのだ。この奇妙な法律と、このたびの退位に関わる報道や社会のありようについては、稿を改めて考えたい。(敬語敬称略、47NEWS編集部・共同通信編集委員佐々木央)

不可視の天皇制(7)血のカリスマ

不可視の天皇制(6)憲法1条の不思議

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不可視の天皇制(3)沈黙の強制

不可視の天皇制(2)お言葉の政治性

不可視の天皇制(1)皇室報道の倒錯

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