「命のビザ」受給者の足跡見つかる 氷川丸乗船名簿に氏名

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1941年の氷川丸のシアトル到着船舶乗船名簿。ビザ受給者リストにもあるポーランド人の「Lutyk Zofia」とその家族とみられる氏名が並ぶ

 第2次世界大戦中、ナチスの迫害からユダヤ人を逃すため、外交官・杉原千畝(1900~86年)が任地リトアニアの日本領事館で発給した日本通過ビザの受給者が、横浜から米国に向かった氷川丸の乗船名簿に複数名、登載されていることが、鎌倉市の市民団体の調査で分かった。

 「鎌倉・杉原千畝さんを顕彰する会」(会長=中沢克之・元鎌倉市議会議長)が、米国への到着者名簿を入手。リトアニアにある「杉原記念館」が公表している、いわゆる「命のビザ」の受給者リストと突き合わせた結果、少なくとも43人が符号したという。

 日本郵船は「戦時中の乗船名簿は現在は残っていない」としているが、同会は氷川丸が戦時中に米移民局に提出した到着者名簿を米公文書館のリストから発見。国立国会図書館が米公文書館から購入したマイクロフィルムを調べた。

 ナチス迫害の被害が多かったポーランド人らに絞り、氷川丸の到着者名を一人ずつ調べた結果、40年11月から41年6月に横浜から米・シアトルに到着した8便の乗船者のうち、少なくとも43人がビザ受給者と同じ氏名、国籍だった。

 中沢会長は「氷川丸がユダヤ難民を運んだ事実はよく知られているが、誰を運んだという記録は残っていない」と説明。「他の船の記録まで広げて調べれば、ユダヤ難民が第三国へ逃れた実態がより詳しく分かるのでは」と話す。

 ドイツ占領下のポーランドなどから逃れてきたユダヤ難民は40年7月、杉原が領事代理を務めた日本領事館に押し寄せた。ビザ発給の条件を満たしていない者もいたが、杉原は人道的な判断に基づいて発給した。

 6千人とも言われる受給者らは、シベリア鉄道でウラジオストクまで行き、海路で敦賀港(福井県)に入った。そこから列車で横浜や神戸に移動した後、氷川丸などで米国やカナダなどに逃れた。当事者の証言も残されている。

 中沢会長は「ユダヤ人を運んだ他の船は戦時中に沈められ、現存するのは横浜港に係留されている氷川丸のみ。出港前の宿泊先など、横浜とユダヤ人の関わりを解明するきっかけにもなれば」と説明。また「杉原ビザで救われた方々の孫やひ孫が氷川丸の存在を知り、祖父母の乗った船を見に横浜を訪れてほしい」とも期待している。