「人生で一番のトライ」 県勢で唯一W杯のグラウンドに立った 平浩二

「初めてW杯のグラウンドに立った時はしびれた」と語る平。現在はサントリーの営業マンとして多忙な日々を送る=福岡市

 W杯2大会に出場して、フランス大会のカナダ戦で劇的なトライも決めた平浩二。キャップ32を誇る本県ラグビー界のヒーローに、W杯の思い出、魅力などを聞いた。

 -ラグビーを始めたきっかけを。
 父がやっていたので、小学3年から自然と始めた。それまでサッカーとかを遊びでやっていたが、なかなか点が取れない。少しもどかしかった。でも、ラグビーは点が取れた。速攻で楽しくなった。

 -その後、高校、大学でU-19やセブンズ日本代表などを経験。そのころから日本代表入り、W杯出場という意識はあったか。
 中学のころから「なりたいな」という夢はあった。U-19とかを経験させてもらって、次はジャパンという思いも出てきた。だから、大学時代に一度、U-23代表の誘いを断った。失礼な言い方だが「ここじゃない」と。その後、大学4年でジャパンの登竜門と言われていたセブンズ代表に呼ばれた。「これは来た」と思った。

 -サントリー入社3年目、フランスW杯イヤーの4月に日本代表に初招集された。その時の心境を。
 単純にめちゃくちゃうれしかった。メンバーに残るために必死になった。その後、7月の北海道合宿最終日前日の夜、JK(ジョン・カーワン日本代表ヘッドコーチ)から「あすメンバーを発表する。知りたい人は聞きに来い」と言われたので、聞きに行った。「戦力として考えているから、一緒に戦ってほしい」と言ってもらえた。酒がものすごくおいしかった。

 -迎えた自身初のW杯フランス大会。グラウンドに立った時の感想を。
 ラグビーをやってきて初めて震えが来た。しびれた。3、4万人のお客さんが「ジャポン、ジャポン」と応援してくれた。ただ、相手の豪州はジョージ・スミスらフルメンバー。ほぼディフェンスしかしていない。一度、サインプレーで抜け出したが、死角からジョージがタックルしてきて、ジャッカルされて、そのままトライされた。その後、ジョージとサントリーでチームメートになった時に「W杯で一番のトライは」と聞いたら、日本戦のトライだと言われた。「それ、やられたのおれだよ」と言って笑った。

 -そのフランス大会のカナダ戦。ノーサイド直前、7点ビハインドで同点につながるトライを決めた。
 人生で一番の思い出になるトライ。とにかくうれしかった。右隅だったが(同点になる)ゴールキックは入ると思っていた。

 -2度目のニュージーランド大会は2試合目でけがをしてしまったが。
 実は1試合目の後に右脚を肉離れした。2試合目は痛み止めとテーピングで出た。相手がオールブラックスだったので、どうしても出たかった。でも、やっぱり厳しかった。勝ちにいったW杯だったので、悔いが残っている。

 -いよいよ日本でW杯が開催される。その大きさを本県で一番知っているラガーマンとして、どんな思いがあるか。どんなところを見てほしいか。
 世界各国から選手、サポーターが来る。国歌斉唱だけでも楽しめる。長崎で試合はないが、福岡、大分でもあるので、とにかく会場に足を運んでもらいたい。一回見れば、すごいというのが分かる。そして、W杯が終わった後、逆にもっともっとラグビーが盛り上がるようにしてほしい。

 -次代を担う子どもたちへメッセージを。
 僕自身、心の底からラグビーが大好き。しんどいし、きついし、痛いけれども、その先にラグビーやってて良かったなということがある。自分の長所を伸ばして、成長してほしい。今の仲間は、引退した後もずっと仲間でいられる。それがラグビーのいいところ。諦めずに頑張ってほしい。

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