「これが俺の棺おけか」 特攻艇隊員 日記に心境

「震洋」五島基地 故島木昇さん

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「潔ぎよく散りて…」。島木さんは日々、辞世や訓練の様子などを日記につづっていた。上は、海軍における島木さんの経歴などを記した軍歴票

 「我ノ死一歩一歩近ヅキツツアリ。君国ノ為喜ビ死ヲ得ン」-。太平洋戦争末期の1945年、爆薬を積んだ小型ボートで敵艦に体当たりする旧海軍の水上特攻艇「震洋」の基地が五島列島に整備され、全国から死を覚悟した若者が集められた。その中の一人で、徳島県出身の故島木昇さん(2016年、89歳で死去)は訓練の様子や死に臨む心境を日記に書き留めていた。貴重な記録をめくると、戦争に翻弄(ほんろう)される青年の姿が浮かび上がってきた。

 日記は1945年4月から終戦まで約4カ月間の出来事をノートにつづっている。2013年から5年間、五島列島の戦争史を調査した大分県の航空戦史研究家、深尾裕之さん(48)が、五島・中通島の鯛ノ浦特攻基地に配備された特攻部隊「川棚突撃隊 第六十二震洋隊」の第二艇隊班長だった島木さんが生存していることを知り、当時の日記も現存していることを突き止めた。

 1945年4月は米軍の沖縄侵攻が本格化し、「本土決戦」が現実味を帯び始めていた。当時18歳で、土浦海軍航空隊(茨城県)の教官だった島木さんは「早かれ遅かれどうせ死ぬのだったら…」と自ら特攻隊を志願。4月19日、「征ク日モ定マッタ。タダ命(めい)(命令)アルノミ」と決意を記した。3日後、徳島から突然面会に来た両親に駅で最後の別れを告げ、こう詠んだ。「たらちねの我を思ふ親心いかで忘れん我死してなほ」

 その後、陸路で東彼川棚町の「川棚臨時魚雷艇訓練所」へ。約2カ月間、震洋の操縦訓練に打ち込む。島木さんは川棚に来るまで、どんな特攻兵器に乗るか聞かされていなかった。

 「機ノ貧弱サニ驚ク」。初めて目にした震洋の機体について率直な感想を残している。全長約5~6メートルのベニヤ板製の機体。いずれ自らが乗り込み、積み込んだ爆薬もろとも敵艦に突っ込むことになる-。深尾さんの聞き取りに対して、島木さんは当時抱いた思いをこう表現したという。

 「これが、俺が乗る棺おけか」

 ■「潔ぎよく散りて御国の御柱となりて護らん大和島根を」戦死を覚悟 辞世詠む

 太平洋戦争の戦況が悪化していた1945年。本土決戦に備え、五島列島にも中通島の鯛ノ浦、福江島の奥浦と大浜の3カ所で特攻基地の整備が進められた。鯛ノ浦には実際に「第六十二震洋隊」が配備された。特攻隊を志願していた当時18歳の故島木昇さんは、同年6月25日に東彼川棚町の「川棚臨時魚雷艇訓練所」で約2カ月間の震洋操縦訓練を終え、同隊への配属が決まった。

 「潔ぎよく散りて御国の御柱となりて護らん大和島根を」。部隊編成の直後、島木さんは祖国を守る決意を詠んだ。沖縄戦が終結し戦況が一層厳しくなる中、勇ましい言葉で自らを鼓舞した。

 「いつ戦死してもいいように心の内を言葉に残しておこうと辞世として詠みつづった」。島木さんは後に、五島列島の戦争史を調査した航空戦史研究家の深尾裕之さん(48)に送った手紙の中で当時の心境を回顧している。

 7月6日朝、島木さんは川棚を出発。日記によると列車で佐世保まで行き、午後7時半発の船で上五島に向けて航行。翌朝8時には鯛ノ浦基地に到着した。

 宿舎は鯛ノ浦地区にあった東浦国民学校(当時)の校舎。鯛ノ浦にはまだ震洋の機体が配備されておらず、隊員らは周辺の地理を把握する「地形慣熟」や「航法」の座学訓練を受けた。隊列を組んで青方地区や有川地区に走ったり、トンネルを掘る作業を手伝ったりした。

 出撃の日を待つ一方、休日にバスで外出するなど息抜きをする様子も記されている。車窓から見た上五島の穏やかな海辺の景色を「平和ナル神秘境ニアルガ如シ」と表現した。「夏の海水平線に浮び出づ入道雲に死所を尋ぬる」

 8月6日、島木さんら特攻隊員は震洋の機体を受け取るため、一度川棚に戻った。「毎日ノ如ク敵襲アリ。コレモ一ツノ日課ナリ」「日ソ開戦ノ報ヲ聞ク」。戦況は緊迫していた。3日後、長崎に原爆が投下された。基地近辺の旅館にいた島木さんは、「窓ガラスがガタガタと震えるほどの火薬庫が爆発したような音」を聞き、遠くに立ち上るきのこ雲を見た。

 15日。自らの死を覚悟し、最後まで日本の勝利を信じた島木さんは、震洋で出撃することなく終戦を迎えた。悔しさを抱え、最後の歌を詠んだ。

 「聖断の下るを誰ぞ知り得べき今日の悲報を夢想だにせず」
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 深尾さんは「日記によって五島に特攻隊員がいたことが改めて証明された。今も鯛ノ浦には震洋の格納庫などが残っており、貴重な戦争遺構として残してほしい」と話す。

 日記は島木さんの死後、遺族から深尾さんに託された。深尾さんが執筆し、昨年12月に五島文化協会が発行した調査報告書「終戦の五島を記録する~五島の海軍施設と米軍の来攻」に資料として収録されている。

 深尾さんは東彼川棚町新谷郷の「特攻殉国の碑資料館」に日記を寄贈する意向。同館で慰霊祭が開かれる12日から同館で公開される予定だ。

鯛ノ浦特攻基地に配備された「第六十二震洋隊」の搭乗員ら。2列目左から2人目が島木さん(深尾さん提供)
鯛ノ浦特攻基地の跡地に現存する震洋艇格納庫跡=新上五島町鯛ノ浦郷(深尾さん提供)