デラコルテ野外劇場から支道をやや北に行くと、広大な芝地に出る。その名も「グレートローン」。総面積22ヘクタール。公園設計者オルムステッド&ヴォーのコンセプト「田園の景観」そのものの広大な景色は、当初の「グリーンワード計画」にはなかった。
それどころか、この場所には1842年(公園開園の17年前)から「ヨークヒル浄水場」があった。同年に完成した「クロトン水道管」が運ぶ飲料用水を一旦貯水する施設である。このおかげでニューヨークの水道と衛生のレベルは飛躍的に向上したのだが、建造物自体は無骨で目障り。設計者たちの美意識の前に立ちはだかった。かと言って娯楽のために「市民の水瓶」を壊すわけにもいかず、結局、周囲を樹木で厚く囲って目隠しする方法でお茶を濁した。
浄水場が老朽化してお役御免になったのは1931年のこと。その時、初めてここに「田園風景」が登場した。だから、オルムステッドもヴォーもこの景色は目にしていない。ちなみにグレートローンのさらに北に今も残る池は、浄水場が定期点検で操業停止する時のための補助貯水池だった。
**嵐を呼ぶ
無料コンサート**
70年代に入るとセントラルパークは運営予算の不足から管理が行き届かなくなり、急速に荒廃する。公園内は犯罪の温床となり、ミステリー映画の死体発見場所というと決まってセントラルパークだった。悪化する一方の状況を何とか改善すべく1981年8月に開催されたのがサイモン&ガーファンクルのチャリティーコンサート。当時、すでにコンビを解消してソロ活動していた二人が公園再建のために声を合わせたその場所が、ここ「グレートローン」なのだ。
世紀の再結成、しかも入場料フリーとあって53万人も集まった。今も残るライブ映像冒頭の空撮が圧巻だ。大聴衆が立錐の余地なく埋め尽くす22ヘクタール。そこに一糸乱れぬ「ミセス・ロビンソン」のハーモニーが響く。
S&Gの大成功をきっかけにグレートローンの無料ライブ・イン・ザ・パークが定番化する。ボン・ジョヴィやガース・ブルックのショーもすごかったが何と言っても忘れられないのが、83年7月、嵐の中のダイアナ・ロス公演。ずぶ濡れで「エンドレスラブ」を歌い終わった彼女は、涙ながらに公演の「エンド」を発表するも、すかさず「続きは明日やるわ」と約束。「今は安全にお家に帰って。一人残らず会場を出るまで私はステージを降りません」と呼び掛けた。この時の集客は80万人。幸い事態は無事故で収束。ダイアナの機転とショーマンシップは天才的だが、この公園だから起こり得た奇跡とも言える。(中村英雄)