「こどもの日」に考える

 切ない記憶がやがて、ほの温かくなるときもある。「日本一短い手紙」の傑作選で見つけた。〈修学旅行を見送る私に「ごめんな」とうつむいた母さん、あの時、僕平気だったんだよ〉。50歳を過ぎた男性が、貧しくて、修学旅行をあきらめた昔日をかみしめている▲現代の貧困はどうだろう。いつか、しみじみ思い出されるとはどうも思えずにいる。いま、子どもの貧困は根の深い問題で、出口が見えない▲県は子どもの生活について初めて実態を調査し、その結果を先ごろ公表した。貧困状態の家庭はそうでない家庭よりも、子どもに「医療機関を受診させられなかった」「習い事に通わせられなかった」ことがあると回答する率が高かった▲子どもが「勉強が分かる」「自分には良いところがある」と答えた率は貧困状態にあれば低い。そうした子どもが長じてつまずき、なお貧しさから抜け出せない「貧困の連鎖」が案じられている▲貧しさに限らない。最近の紙面を繰れば、少子化がさらに進んだ、とある。児童虐待に対応するため自治体と学校とで情報共有の動きが見られる、とある▲いつからか、「こどもの日」は子どもの健やかな未来を「願う」だけでなく「考える」日になった。きょうという日をいつかしみじみ思い起こせるように。大人の責任は重い。(徹)

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