水戸華之介「デビュー31年目を迎えた〈生粋のボーカリスト〉の新たな挑戦はゴスペル・グループとのコラボレーション!」

『溢れる人々』はライブを意識した曲順だった

──ゴスペルを基調としたアルバムを作ろうという構想が浮かんだのはいつ頃だったんですか。

水戸:ゴスペルどうこうより先に、コーラスを主体としたアルバムを作りたいと思い立ったのはもう10年以上前。ただ、その方面の人たちと知り合う機会が全然なくてね。仮に高校の合唱部とかと知り合うことがあれば、それで作ってたと思う。それくらい声の集まりを核としたものを作りたい気持ちはあった。

──コーラスワークに重きを置いたバンドは昔からお好きだったんですか。

水戸:おそらくみんなが思っている以上に俺はビーチ・ボーイズが好きでね。だけど普通のバンドをやっていると、そのビーチ・ボーイズ好きな面って活かしづらいのよ。俺がやってきたバンドは割とメンバーのコーラスが上手いほうだったとは思うけど、それはあくまでもロック・バンドとしてのコーラスだから。ストーンズでキース・リチャーズのミック・ジャガーへの絡み方が格好いいみたいな。コーラスって言うより絡みだから。今回はそういうのではなく、リードとコーラスがしっかりと調和したボーカル主体のアルバムを作ってみたかった。

──「今までにやったことのないことをやりたい、見せたことのないことを見せたい」という水戸さんの意志の表れのようにも感じますね。

水戸:タイミングもあったね。去年はメジャー・デビュー30周年という冠のついた活動となって、中谷(信行)をゲストに呼んでの『不死鳥』とか、『溢れる人々』を丸ごとやったツアーとか、どれもすごく喜んでもらえたようでね。ただ嫌でも自分のキャリアに区切りがついた空気になっちゃって、ここで今までやったことのないことをやらないとデビュー31年目が印象の薄いものになってしまう気がしたのと、反動として何か新しいことをやろうというのもあって、今年はVOJA-tensionとの完全コラボ作品を作ることにした。

──ちょっと話が逸れますが、『溢れる人々』の再現ライブはやってみて如何でしたか。

水戸:あのアルバムってライブを足がかりに曲順を決めていたんだなと、30年経って初めて知った(笑)。そんなことはこれまで気にしてもなかったんだけど、あの曲順のままやるだけでライブ的に起承転結がついて、ちゃんとショーになったんだよね。そういう並べ方を無意識にしてたんだね。当時はちょうどアナログ盤からCDに移行する時期で、『溢れる人々』はアナログ盤で聴くのを想定してレコーディングを始めたんだけど、最終段階でこれからはCDの時代になるからって、急遽そっちの曲順も考えることになって。だからアナログ盤とCDでは曲順が違うんだよ。で、CD用の曲順を考えたんだけど、アナログ盤みたいに途中でA面とB面の休みがないまま一気に聴かせるってどういうことの実感がないから、結局一本のライブのような並べ方にしてたんだね。無意識に。

──曲順が功を奏して、再現ライブでも違和感がなかったと。

水戸:うん。でも慣れるのは早いもので、2枚目の『新しいメルヘン』ではもうCDなりの曲順の決め方が自分の中ではできてるんだけどね。

──今回の『アサノヒカリ』も一本のライブの流れを意識した曲順になっていますよね。SEを思わせるオープニング・チューンがあって、最後の「青のバラード」まで緩急のついた飽きのこない構成になっていて。

水戸:そうだね。そもそもコーラスのつけ方自体がライブ想定で、同じ人が同時にいないように録ったから。アルバムのパート割りのままライブをやれるようにするのはこだわった。

──VOJA-tensionの皆さんとはどんな経緯で知り合ったんですか。

水戸:3、4年くらい前、彼らがラジオ番組を始めるということで、月一ペースでゲストに出ることになってね。彼らと知り合って、そう言えば俺、コーラスのアルバムを作りたかったなというのを思い出して。で、徐々に俺をリスペクトするように取り込んでいった形(笑)。

──前作『ウタノコリ』も素敵な作品でしたが、新曲が「浅い傷」だけだったじゃないですか。それが今回は7曲もの新曲を聴けるのが純粋に嬉しいんですよね。

水戸:今回のアルバムも最初は『ウタノコリ2』みたいなイメージだったんだよ。VOJA-tensionと一緒に作るのは決めてたけど、それは前作『ウタノコリ』みたいなものをベースにして6人組のゴスペル・グループのコーラスが入る構成かなと漠然と思ってた。だからセルフカバーの中でも『ウタノコリ』の続編的な選曲の名残として「世界が待っている」や「100万$よりもっとの夜景」といった王道の曲があるんだよね。

──VOJA-tensionのスキルが予想以上に素晴らしくて、途中で路線変更したということですか。

水戸:割と早い段階でそうなった。自分なりにどんなコーラスをどう入れようかと考えているうちに面白くなってきて、これはゲスト的な扱いではなくがっつりコラボで作ろうと考え直して、そのタイミングで選んだセルフカバーが「青のバラード」や「生きてるうちが花なのよ」といったあまり光が当たってない曲。そういうちょっと外したセルフカバーを入れるなら、いっそ新曲も入れたくなったという流れ。

歌手なのに唄わないのが究極の理想

──全編バンド・サウンドではなくデジタル・サウンドのトラックにしたのは敢えてなんですよね?

水戸:演奏は自分の主戦場を離れて敢えてデジタル・サウンド寄りにした。歌とコーラスだけが生っていうほうが際立つだろうし。バンド・サウンドだとハマるのはわかるけど、なんか録る前からイメージできすぎちゃうなぁと思って。トラックがほぼデジタルなんてアルバム、作ったことがなかったから単純に面白そうだったし。それに今回は俺のソロ・アルバムと言うより新しいコーラス・グループのデビュー・アルバムにしたかったから、今までやってないことをやりたいという意識がいつになく強かったのかもしれない。

──水戸さんのソロ名義ではなく、あくまでも〈水戸華之介 with VOJA-tension〉という新生グループの作品だからこそ、「夜明けの歌をあげよう」や「アサノヒカリ」、「私の好きな人」では水戸さんが唄うはずの主旋律のパートをVOJA-tensionのメンバーに明け渡しているわけですね。

水戸:できれば自分が唄わずに済めばいいなくらいの気持ちだったしね(笑)。でも実は、究極の理想はそこだったりする。20年前に亡くなってしまったけど、桂枝雀さんという関西落語会の名人がいるでしょ? その人が生前、「究極の目標は噺をしないこと」と語っていてね。高座に上がってニコッとしただけで、お客さんが木戸銭分の満足をしてくれるようになりたいと。噺家なのに噺をしない、歌手なのに唄わない。俺もその域に達したいというのが密かな目標なんだよね。

──水戸さんはゴスペルにどの程度精通していたんですか。

水戸:『天使にラブ・ソングを』の1と2を観ていたくらいの知識(笑)。俺が知ってるのはサム・クック&ソウル・スターラーズやステイプル・シンガーズといった古いゴスペルで、VOJA-tensionの志向するゴスペルとは世代的にズレがあるんだよ。だけど今回はちゃんとしたゴスペルをやりたかったわけじゃないから。もっとポップに寄せた、それこそビーチ・ボーイズみたいなコーラス・グループとしていろいろと考えた。

──コーラス・グループとのレコーディングはキャリア初だったと思いますが、実際にやってみて如何でしたか。

水戸:こんなに一生懸命にレコーディングしたのも久々だった。久々と言うか、生まれて初めてかもしれない。俺くらいのキャリアになると、たとえばギターを入れてる間はほとんどマンガを読んでるからね(笑)。申し訳ないので一応はスタジオにいるけど、澄ちゃん(澄田健)クラスのギタリストに対して俺がとやかく言うことはないし、自分がやりたいイメージを最初に伝えとけば、後はお任せしたほうがいいから。どっちが良いか聞かれたら答えるくらいで。

──今回はVOJA-tensionというコーラス・グループが相手だったから、いつものレコーディングとはだいぶ違ったわけですね。

水戸:同じボーカルだから、自分の引き出しの中からいろんなことを言えちゃうんだよね。「こうして、ああして、もっとこんなふうに」とか。録っている間にあれだけずっとミキサーの後ろにいたのは今回が初めてだったんじゃないかな。通常、ミキサー卓の後ろにテーブルがあって、そこにディレクション的な人が座っている。その後ろにソファーがあって、録り待ちの人がそこに座っている。だいだいどこのレコーディング・スタジオもそういう3段階なんだけど、俺は今までほとんどソファーにしか座ってこなかった。ところが今回は3回くらいしかソファーに座ってなくて、ずっとミキサーの後ろのテーブルに陣取っていたんだよ。

──デビュー31年目にして初めて本格的なディレクションをしたと。

水戸:こう言えばもっと良くなるというのがわかっていたし、やり始めると6人全員の個性が全然違うのが見えてきたので、いろいろと試してみたくてね。コーラスってどうしても寄せようとするものだけど、これだけ個性がバラバラならあえて寄せないほうが面白いなと思ったので、そこは一番こだわった。寄せた綺麗さよりもバラけた面白さ優先でね。一人ずつの個性が見えたほうが絶対に面白いと思ったし、俺がこのアルバムで求めたのは寄せたコーラスの美しさではなかったから。

こだわりあるロックよりもポップスに近い志向

──今回のアルバムで歌とコーラスが最も美しく調和しているのは幻想的なアレンジが施された「かざぐるま」だと思うのですが、〈水戸華之介 with VOJA-tension〉というグループの持ち味が遺憾なく発揮されているのはコミカルな曲調が際立つ「種まき姉ちゃん」ですよね。VOJA-tensionのメンバー各自の個性もちゃんと出ていますし。

水戸:セルフカバーの中で「種まき姉ちゃん」はやろうと最初から決めていたんだよね。それはただ単に、彼らに「お乳ゆさゆさ」と言わせたい一心で(笑)。「おケツふりふり」なんて絶対に言ったことがないはずだから、言うだけで面白いなと思って(笑)。でもいざやってみたら、「種まき姉ちゃん」は音楽的にもハマった手応えがあったよ。オリジナルに入っていないコーラスのフレーズがひとつずつどれもが上手くハマった。

──パンキッシュな曲調だった「ミミズ」がクイーンの「We Will Rock You」を彷彿とさせるアレンジに激変したのも、水戸さん一流の遊び心を感じましたが。

水戸:オープニングの短い曲を作りたくて、それには歌詞は要らないと思ってね。「オゥオゥ」と言うだけの掛け合いだけでいいなと思って、最初はオリジナルを作ろうと考えたの。だけど「オゥオゥ」と言うだけなら過去に何かあったなと思って、そうだ、アンジーの「ミミズ」を使えるなと気がついた。それでウッチーに「ミミズ」をインストっぽくアレンジしてもらったわけ。イントロのフレーズはそのまま使って、途中からコーラスを入れたら格好いいし、Bメロのコード進行はそのままブリッジでいけると思ってね。出来上がる前からすでに完成形が見えてた。

──そんなふうに今回は過去のナンバーもこんな感じになりますよと冒頭の「Opening Tune “The Mimizu”」と「世界が待っている」で軽く説明してみせて、それから本格的に新曲を聴かせていくという丁寧なガイドラインのような構成になっていますよね。

水戸:そうだね、新曲も前半に多いし。このアルバムでやりたかったことが端的に表れているのは新曲だから、先にそっちを聴かせたくてね。

──今回の新曲はお世辞抜きで粒揃いの名曲だらけで、本当にいい曲が揃ったなと思って。

水戸:このグループとのハマりが良かったんだよね。こういうアルバムを作ろうと決めてから完全な新曲として作ったのは「夜明けの歌をあげよう」くらいで、たとえば「うさぎ雲」とかはそれ以前からあった曲なんだけど、バンドでやるイメージが浮かばなかった。だけど今回のようなアルバムにはぴったりの曲だね。

──水戸さんのソロ名義ではなく〈水戸華之介 with VOJA-tension〉の作品ということで、ヘンに力まず制作に向き合えた部分もありましたか。

水戸:ロックから離れていいというのはすごい解放感があったね。俺は音楽をやるのが好きと言うよりロックが好きってことでここまでやってきたし、「音楽がお好きなんですねぇ?」と訊かれたら返答に困るくらい音楽じゃなくてロックが好き。俺たちはロックに対してこだわらなくちゃいけないギリギリの世代なんだよ。もっと下の世代になるとロックだろうが何だろうが構わないんだろうけど、俺たちは「これ以上やると歌謡曲になってしまう」という物差しがあった世代なんだよね。それでもポップな方向には持っていきたい。かと言って王道のロックをやりたいわけではない。その意味では矛盾してるんだよ。ロックに対してすごいこだわりがあるくせに、目指してることはむしろポップスに近かったりして。

──そういう水戸さんの嗜好と志向をちゃんと汲んだ曲を作れるのが、長年コンビを組んでいる中谷さんだと思うんですよね。

水戸:中谷はロックとして成立しにくいヘンなコード進行だし、そもそも妙にこじゃれたコード使ってたりするし、分析してみるとポップスに近い曲の作り方をするんだよ。でもなぜかロックとして聴こえるという。なんか最初からそんな感じだった。中谷とは十代の時から一緒で、高校を出た後も博多というスクール・オブ・ロックの、しかもジューク・レコードという博多の一番濃い教室でも一緒だったからか、そういう矛盾も含めてしっくりくるんだよね。「なるほど!」と「なんで?」のバランスがいまだに面白い。

──新曲が続いた後に3-10 chainの「100万$よりもっとの夜景」がふと入っても流れを損ねないのは、同じ中谷さんの作曲だからという理由だけではなく、アレンジの妙もあるんでしょうね。

水戸:やっぱり中谷の書く曲は構造的にはロックじゃないんだよ(笑)。だからアレンジをちょっと変えればロックじゃなくなるのね。でも中谷も含めて、今回はアレンジがすごく良い。運良くアレンジの才能に長けた人が身近にいてくれたおかげだね。

生演奏の良さを熟知した上での打ち込み

──今度のツアーにも参加する枕本トクロウさんとはどんな方なんですか。

水戸:トクちゃんは太陽の塔というバンドでデビューした人。音楽より先にボードゲームを通じて友達になって、一緒にライブをやったのは知り合ってから何年も経ってからだった。彼がBOZE STYLEというコンセプト的にはコミック・バンドみたいなプロジェクトをやっていて、それは全曲ハゲの歌でね(笑)。でもトラックのクオリティが異常に高くて、今回はトクちゃんにアレンジとプログラミングを頼んでみたかったんだよね。今どきの洋楽のグルーヴ感と言うか、打ち込みならではのグルーヴ感を捉える感覚が優れているし、案の定、上手いことハマったね。

──内田さんのアレンジとプログラミングもそうですけど、生演奏の良さを熟知している人の打ち込みですよね。

水戸:うん、それはある。トクちゃんにしろウッチーにしろ、打ち込みから入った人の感覚じゃないんだよね。それが俺の感覚とフィットするし、引いてはコーラスという生ものともフィットするわけ。だからすごく上手くハマったんだと思う。ここ3年くらいウッチーとはZun-Doco Machine(ズンドコ・マシーン)というテクノ・ユニットをやっていて、今回のアルバムを作るまでにそこで打ち込みの修練をした部分はあるね。

──歌の主役でありながら作品全体のプロデュースを手がけるという意味で、水戸さんは本田圭佑のような選手兼任監督の立場ですよね。

水戸:多分、俺は人ころがしが上手いんだよ(笑)。自分にできること、できないことの自覚があるし、できないことはできる人に任せたほうがいい。歌は自分のできることだからVOJA-tensionのみんなには俺がディレクションするけど、トラックに関しては、たとえば「トクちゃんにこの曲をお願いすれば間違いないだろう」と決めるだけ。「今どきのR&Bみたいにしてほしいんだけど」とか大雑把な指示は出すけど、そこから先はお任せ。

──今回の新曲はいずれバンド・サウンドでも聴いてみたいものが多々ありますが、「かざぐるま」だけは光の粒子が浮遊するように幻想的な今回のアレンジがベストに思えますね。

水戸:「かざぐるま」は実は自主制作で一度出したことがあって、その時はピアノ弾き語りの“ど”バラードでね。今回のアレンジはウッチーの才能に尽きる。作曲自体は中谷なんだけど、今回出来たものを中谷に聴かせたら「すごく面白い、コードに合ってない音があるけど」って言ってた(笑)。

──内田さんが勝手に変えてしまったと(笑)。

水戸:ウッチーの感性でそのほうがいいと考えたんだろうね。厳密に言うとコードになっていないところがあるんだけど、それが面白いと中谷は言ってた。そういうのがウッチーの得意なところなんだよ。俺もウッチーが得意そうな曲を予想してお願いしたしね。

──新曲は歌詞もまた素晴らしくて。「夜明けの歌をあげよう」の「失くしたものを 数えてるだけじゃ幸せは逃げていく/残ったものと これから得るもの/それだけを愛しんで」という歌詞も、「Happy 31」の「今日こそは苦手な人にも微笑んでゆるい基準でオッケーを出す/『全扉端から開ける作戦』だ いつか正しい扉に当たる」という歌詞も実に水戸さんらしくていいですよね。

水戸:ああ、そう伝わったのなら良かった。

──『全扉端から開ける作戦』は今度のツアーのタイトルにもなっていますね。

水戸:うん。全部の扉を片っ端から開けるのは作戦じゃねぇよ! と突っ込まれたくて作った曲なんだけど(笑)。「Happy 31」は以前からある短歌シリーズの1曲で、歌詞が一行ずつ31文字の短歌になっている。短歌をそのまま歌にできないかと思って、これまで「31のバラッド」、「31のブルース」という曲を書いたことがあるんだけど。

──その「Happy 31」にエドウィン・ホーキンスのゴスペル・ソング「Oh Happy Day」をくっつけたのは、単純に合いそうだったからですか。

水戸:よく知られた「Oh Happy Day」をヒップホップ風にやったら面白そうだなという発想が先にあってね。歌の合間にラップが入ればヒップホップっぽくなるけど、俺はラップができない。でもラップの代わりにいつもの短歌の朗読をやれば形にになると思ってね。まぁ、ラップではないし、ただ叫んでいるだけだけど(笑)。

ヒップホップじゃ格好のつけ方がわからない

──水戸さんはヒップホップを聴くことがあるんですか。

水戸:なくはないね。俺はメロディよりも言葉に重きを置いた人間だから以前から関心はあって、日本語ラップの黎明期にけっこう聴いてみたりはした。自分もこういうことがやれるなら面白いなと思ってはいたけど、いざやってみても俺にはできなかった。今回の「Happy 31」みたいに、朗読や怒鳴りならできるんだけど、ラップではない。なぜそうなのかを考えると、単純に十代の頃にヒップホップを聴いていなかったからだと思う。

──ああ、なるほど。

水戸:俺は十代でロック、特にパンクこそ一番格好いいと刷り込まれてるのね。そこから俺なりに格好をつけるというルールでずっとやってきてるわけだけども。たとえばアンジー時代にポコチンロックとか言っておちゃらけてたけど、いわゆる格好悪いことを実はそれが格好いいと思ってやってんだよ。逆にいわゆる格好いいとされるものを格好悪いと感じるようなひねくれた価値観があった。それはパンクの価値観の刷り込みだろうね。

──わかります。「種まき姉ちゃん」もあれはあれで格好つけているわけですよね。

水戸:そう、実はね。独特のルールで格好をつけて「お乳ふりふり」と唄っている(笑)。根本にあるのはいつも格好をつけたいってことで、ヒップホップじゃ格好のつけ方がわからないんだよ。

──それと、ヒップホップをやることに対する照れくささもありますよね。

水戸:うん、まさにそれだと思う。ラップとは言えメロディだから、それ特有の唄い回しをやろうと思えばできなくもないんだけど、格好つけるものとして自分の身体に入ってないんだよね。どうしても拭えない照れがあるから、仮に俺がヒップホップをやっても聴く人には無理をしていることがわかっちゃう。ギャグとしてやるならできるけどね。それだったら俺なりの格好のつけ方だから。

──そもそも身の丈に合わないことをやるのは恥ずかしいですしね。

水戸:自信がないことも含めてなんだろうけどね。それを格好いいと感じる確信がないってことは自信がないってことだから、それが照れとして出ちゃう。素人が唄っているのを見て俺が一番気になるのも照れだしね。ステージに上がったらバーン!と勢いよくやればいいじゃんと思うよ。俺はステージに上がっても照れがないから歌手として成立しているし、上手い下手は二の次だと思う。

──「青のバラード」というアンジーのレア曲でアルバムの最後を飾ろうと考えたのはどんな理由からですか。

水戸:ゴスペルにハマりそうだったからというのも理由のひとつなんだけど、「青のバラード」って実はアンジーの最後のシングル候補だったんだよ。そろそろ大きめのバラードでシングルを切りたいと思って何曲か作っていた中の1曲で、デモ録りなのにフルオーケストラまで入れる凝りようでね。サンプリングではなくわざわざ生オーケストラを呼んで音を入れるくらいの力の入れようだった。でもその直後くらいにバンドを休止する話が出て、そのまま休止に向かっていったのでレコーディングが宙に浮いてしまった。アンジーの『RARE TRACKS』に入っているのは、その宙に浮いた未発表テイクなんだよ。そういう経緯もあって、いつかちゃんとした形で発表したいと考えていて、今回がいい機会だと思って入れることにしたわけ。オリジナルのフルオーケストラをそのままコーラスに置き換えたら成立すると思ったからね。

──『ウタノコリ』然り、『不死鳥Rec.』や『独翔 ver.』然り、ここ数年の作品ではそんなふうに過去の埋もれた楽曲に敗者復活の機会を与えることが多いですよね。それは水戸さんがミュージシャンではなく唄い手だからなんでしょうか。

水戸:それは大きいだろうね。もう一度脚光を浴びせたいのもあるし、歌を唄う自分が成長しているのであれば、歌のほうだって放っておいても成長しているはずだしね。その辺の意識は生粋のミュージシャンや生粋のアーティストとはちょっと違うかもね。多くのミュージシャンは一度完成した曲をセルフカバーすることに抵抗があるみたいだけど、俺は全然そんなふうに思わなくてね。なぜひとつの曲を一度しかレコーディングしちゃいけないんだろう? なぜそんなルールをみんな勝手に守っているんだろう? と思うしさ。どのタイミングでレコーディングしようが、「たまたま今はこうです」ということだとしか俺は思ってない。もちろんその時点で全力を尽くして百点満点を出しているつもりだけど、時間が経てばもっと点数を出せるはずだから。

真剣な遊びとしてロックをやり続けたい

──水戸さんらしい発想で納得です。「青のバラード」は「昨日より若くなる/ひとつづつ若くなる/永遠に若くなる」という歌詞が印象的ですが、20代の終わり頃に書いた歌詞と考えると当時の水戸さんはだいぶ老成していたようにも思えますね。まだ充分若い時分に「永遠に若くなる」という歌詞を書くわけですから。

水戸:当時の俺に言ってやりたいよね、「お前はまだ何もわかってない」って(笑)。「永遠に若くなる」というフレーズは今の自分のほうが願いとして、より正しく唄えるよ。当時、なぜそのフレーズを使ったのかよく覚えていないけど、あの頃の若い自分が唄ってもあんまり説得力がないよね。ただ単に「永遠に若くなる」と言ってみたかっただけじゃん、って。「人生は永遠じゃない」とか自分が50歳を過ぎた頃にようやくリアリティを感じたことだよ。「あれ? あっという間にこれだけ生きちゃってるぞ。ということはこの先の人生って思ってたほど長くないぞ」というのを今は実感してるから。だからこそ「永遠に若くなる」ことを切実に願えるんだよね。

──なるほど。VOJA-tensionとのライブは今回のアルバム同様、歌とボーカルを際立たせた迫力のある内容になりそうですね。

水戸:トクちゃんにマックからのトラック出しをしてもらうんだけど、それに加えてピアノは必ず生で弾いてもらう。それで唄いやすさが違うから。Zun-Doco Machineでもゲストでワジー(和嶋慎治)のギターが入った時に唄いやすさが全然違ったという経験からそう決めた。唄いやすさが違うということは聴こえ方も違って、つまりライブ感がすごく違ってくるんだと思う。

──デビュー31年目にして今までやったことのないライブをやるとはかなりのチャレンジですよね。

水戸:一本目のumeda TRADまではドキドキだろうね。トラックに合わせて唄うのはZun-Doco Machineで慣れているのでできなくはないと思うんだけど、どう意識してもライブの時は歌が粗くなるものなんだよ。本来バンドで唄ってる時にはバンドの音に抗うわけだし、元がパンクだからさ。それに対してVOJA-tensionは正統的に上手いグループで、その上手いはロックにおける上手いとはまた違うんだよね。ロックにおける上手いは癖つけてなんぼだから。そうではない、誰が聴いても上手いよねと感じる人たちのコーラスと、聴く人によっては下手にも聴こえる俺の歌がライブで混ざらなきゃいけない時に、どこまで俺が寄れるのかがポイントかな。逆に彼らにもこっちに寄ってもらうように要求するし、互いに歩み寄ることになるんだろうけどね。その辺のバランスがどうなるかが不確定要素で面白い。

──水戸さんほどのキャリアを積むと、およそのことは経験済みで想定内だと思いますが、今回ばかりはどうなるかわからないと。

水戸:どんなライブでも自分の予想を超えてくるから面白いんだけど、今回に限ってはそもそも予想が完全にはできないからね。このキャリアでそういうライブをやれるのは嬉しいことだよね。

──水戸さんは澄田さんや内田さん、和嶋さんといった全幅の信頼を置くお馴染みの面子と一緒に作品づくりやライブをやり続ける反面、今回のプロジェクトのようにこれまでやったことのないことを突如始めたりしますよね。それは水戸さんなりのバランス感覚なのでしょうか。

水戸:ひとつのことをずっとやってると、どこかでそれが遊びじゃなくなる気がしてね。俺の場合は遊びだからこそ出せる集中力と真剣味だから。それは昔から自分の傾向としてあるね。

──今回のゴスペル・グループとのコラボレーションのように、意外性のあるプロジェクトは今後も続けていく予定ですか。

水戸:Zun-Doco Machineがすでに相当思いきったユニットだからね(笑)。元ナゴムでもともとYMOが好きだったウッチーはともかく、俺が今さらテクノをやるなんて意味不明でしょ?(笑) でもいざやってみるとなんか成立してる。その自由度は自分が歌手だからというのが大きいかもね。3-10 chainというバンドをやっても、『ウタノコリ』というアコースティック・ライブをやっても、最終的には自分が唄ったところで完結するわけだから。観念的なことじゃなくて、歌というのは楽器という道具を使わないから、自分自身と身体的に同一なんだよね。自分が唄いさえすれば完結するということに裏打ちされた自由なんだと思う。だからいろんなことをやってるようで、実はずっとひとつのことしかしてない気もするしね。その自由を常に保ちたいし、俺は一生遊んで暮らしたいんだよ。遊びじゃなくなったらもうやめ時だと思ってるから、これからもずっと真剣に遊び続けていたいよね。

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