月島機械物語 114年目の室蘭進出【3】

市川工場の始動

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経営危機越え海外へ

1976年に操業を開始した市川工場=月島機械提供

 横浜市鶴見区の鶴見工場の狭あい化、設備の大型化に対応するため、1976年(昭和51年)に完成した市川工場(千葉県)は、鶴見工場では製作できなかった大型製品の受注拡大が期待されていた。

 しかし、73年の第1次オイルショックを経て、日本の高度成長は安定成長へと移行し、市場環境の悪化は著しく、民間投資の冷え込みや官庁の予算縮減、さらに円高進行も追い打ちをかけ、苦しい立ち上げを余儀なくされた。

 79年3月期に2期連続の赤字を計上すると、人員削減を断行。退職者の受け皿として子会社を複数つくるなど、緊急の経営再建策に打って出た。81年には黒板行二常務が3代目社長に就き、さらなる経営立て直しを強化する。

 再建策の一環で、鶴見工場は85年に市川工場との統合で閉鎖された。新生・市川工場は大型製缶の第1工場と、新設した第2工場で機械を主体に製作する生産体制でスタートを切る。

受注が相次いだSTD特需当時の市川工場内=月島機械提供

 同時期、東南アジアでは円高対策として生産拠点を設ける日本企業が急増していた。こうした動きに合わせ、86年にシンガポールに海外現地法人を設立。日本企業向けにエンジニアリング業務や製品の提供、情報収集、営業支援などの役割を担い、その後もマレーシア、タイ、台湾と矢継ぎ早に海外拠点を設けた。

 立ち上げ当初は苦境が続いた市川工場だったが、80年代半ば以降、徐々に受注を伸ばし、95年には生産高120億円を達成する。好調を支えたのが、57年に製造を開始したスチームチューブドライヤ(STD)だった。ポリエステル繊維などの原料になる高純度テレフタル酸(PTA)製造プラント用として当時、世界有数の化学メーカーの性能要求に応えたことで信頼を獲得。世界中のPTAメーカーから受注が舞い込んだ。

 STDは、2004~08年にかけてもPTAメーカーの更新サイクル、電子機器や自動車分野で需要が伸びていた樹脂向けの受注が伸び特需に沸いた。だが特需も数年で収束。中国をはじめとする新興国が力を付け、単体機器市場の競争が激化。グローバル競争下で生き残りをかけた変革が迫られた。
(菅原啓)

(2019年5月8日掲載)