三浦按針「墓で毛髪見つかる」記載資料 菩提寺で発見

江戸を一望できる高台に葬ってほしいとの本人の遺言を基に建てられた「三浦安針墓」=横須賀市西逸見町3丁目

 徳川家康の外交顧問を務めた英国人ウィリアム・アダムズ(日本名・三浦按針)の遺品が埋蔵されていると伝わる「三浦安針墓」(横須賀市西逸見町)に関し、明治後期に発掘した際に毛髪が見つかったと記された資料が、按針の菩提(ぼだい)寺の浄土寺(同)で見つかった。逸見道郎住職(65)は「資料の発見で、単なる供養塔ではなく、墓としての位置付けが非常に明確になった」と指摘している。

 資料は、明治から大正に掛けて行われた、安針塚の修復工事の経緯などが記された「安針塚修理及保存ノ概要」(1921年)。

 それによると、着工前の1905(明治38)年、理学博士の立ち合いの下、三浦安針墓を発掘したところ、約3メートル下で、耳際の髪(鬢髪(びんぱつ))などの遺物が埋蔵されていた。資料には「『アダムス』氏ノ墳墓タル確保ヲ得タリ」との記述や、大正天皇をはじめ、伊藤博文や大隈重信ら歴代首相、渋沢栄一ら実業家らが修理費を寄付したことも記されていたという。

 長崎県平戸市にある「三浦按針墓地」で出土した人骨が西洋人男性と判明。同市が逸見住職に対し、DNA鑑定に利用できるものがないかを問い合わせ、逸見住職が寺に残る資料を見直したところ、資料の記述を見つけた。

 遺品の埋蔵について、逸見住職は、平戸の英国商館長だったコックスの日記に、按針の死後、その息子に遺品を渡した記述があることを挙げ、「こうした流れの中で、按針の遺品が墓に収められたのでは」と推測している。

 ただ横須賀市教育委員会生涯学習課によると、「三浦安針墓」は国の史跡に指定されており、発掘して遺品の有無を確認するのは難しい。

 按針は徳川家康に仕え、横須賀市・逸見地区に領地を与えられた。

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