『身体の聲』光岡英稔著 武術から身体を問い直す

 冒頭、米俵5俵300キロを担ぐ大正末期ごろの農婦や、10日間で500キロを歩く明治中期の旧制中学の修学旅行が紹介され、度肝を抜かれる。一方、しゃがむ姿勢が取れず、鉄棒にぶら下がれない現代っ子が増えている。この百数十年間で日本人の身体に何が起こったのか。

 アジアの武術を国内外で教え、甲野善紀や内田樹ら武道家と対談を重ねてきた著者が、失われた古の身体観を基に混迷の現代を生きる手がかりを示す。

 身体は文化と環境に規定される。例えば著者が武術指導をしていたハワイで負け知らずのファイターだった地元の門人は、道場やジムで技術を学んだ途端に弱くなった。ハワイ人が本来持つ野生のパワーが外来の型教育によって奪われたと著者は見る。

 日本人は明治以降、生活環境の変化や産業化による身体の規格化によって、本来有していた足腰や肚、左右非対称の身体感覚、気を解する感性を失っていった。自分の判断や直感よりも客観的なデータや情報を信じ、自律的な生き方ができなくなっているという。

 著者は単に古の身体観の再生を訴えてはいない。AI時代に即した感性と古くから伝わる感性との違いを理解して身体のベースを考え直すことを提唱する。そのためには型稽古や相手との関係性を通して自分の身体や内面を省みる武術が役立つという。

 文化、思想、教育、芸能、医療と多岐にわたる考察が展開し、随所に独創的な知見が散りばめられている。次は著者の体系的な論考を読んでみたい。

(PHP研究所 1300円+税)=片岡義博

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