月に吠える。 - 令和元年、オールドでヤングなロックンロールが轟く歌舞伎町インシデント

「バンドでもやろうか」と言い続けて10年

──大森さんはそもそもバンドマン志望だったそうですね。

大森南朋(vo, gt):そうなんです。俳優をやりながらジャングルビーンズというバンドを29歳までやっていたんですが、当時はバンド・ブームも終わり、僕らは技術も才能もなくて上手くいかなくて、最後はケンカしてやめたんですけど(笑)。その頃は吉祥寺界隈で暮らしていたので、曼荼羅とかでライブをやっていました。

──どんな感じの音楽をやっていたんですか。

大森だいたい今と同じです。ボーカルが別にいて僕はギターで、たまに唄ったりする感じで。

──月に吠える。の結成を持ちかけたのは塚本さんなんですよね。

大森史朗は酒場で知り合った昔からの友達なんですけど、一緒に呑むと「バンドでもやろうか」って口癖のように話してたんです。でもいつもその場限りの話で終わって、お互い仕事も忙しかったのでなかなか実現しなかったんです。次に会うのがその1年後みたいな(笑)。10年くらいそんなやり取りをしてたよね?

塚本史朗(gt):そうですね。南朋さんと久々に酒場でばったり会って、「バンドをやろうか」ってまた同じ話をして(笑)。

大森当時の史朗は音楽業界に絶望していて、「音楽じゃ食べていけないから九州に帰ろうかな」とか言うので、まぁまぁ落ち着けよとなだめまして。そこでまた「バンドでもやろうよ」と話をして(笑)。

──大森さんと塚本さんはどんな経緯で知り合ったんですか。

大森ギター一本抱えて九州から出てきた若者がいるから、一緒に酒でも呑んでやってくれとある人に紹介されまして。史朗は僕の5歳くらい下なんです。当時、その差は大きかったですね。僕が26、7で、史朗は21くらいで。

──ディスクガレージの大森さんと塚本さんの文通連載『聴き捨てならない歌がある』を読むと、塚本さんは歳のわりにモット・ザ・フープルやスティーヴィー・ワンダーといった渋いロックやソウルがお好きですよね。

大森趣味がジジイなんですよ。ほっとくとすぐブルースに走るし(笑)。

──山崎さんと長野さんは、出身が塚本さんと同じ福岡なんですよね。大森さん以外のお三方が揃って博多っ子という。

大森ナゾなんです、この流れが。典二はバンドをやるにあたってベーシストとして入ってもらったんですけど。

長野典二(ba):地元の中学で僕が1年の時に塚本さんは3年で。定期的に会ったり呑んだりはしていたんですけど、一緒に音を出すことになるとは思いませんでした。

大森史朗と典二は中学時代、すごい不良だったんです。史朗に至っては番長でしたし(笑)。それなのに野球をやるために東福岡高校に入るというナゾの経歴で(笑)。

──山崎さんも大森さんのように俳優をやりつつバンドを続けていたんですか。

山崎潤(ds):僕はもともとドラムが先だったんです。フェイスっていうバンドをやっていて、レコード会社との契約が決まって九州から出てきたんですよ。

大森スティック2本とプレステ1だけ持ってね(笑)。

山崎そうそう(笑)。だけどそのバンドがデビュー前に解散しちゃって、どうしたもんかなと悩んでいた時に役者の話をいただいて、それから役者の道を進むことになったんです。

塚本そのバンドでレコーディングはしたの?

山崎したけど出せなかった。史朗はもともと僕の弟の友達だったんです。彼が東京に出てくるというので、じゃあ遊ぼうぜってことで僕の働いていたバーに呑みに来たりして。そのバーに大森さんもよく呑みに来ていたんですよ。

──大森さんと山崎さんは同じ俳優事務所に所属しているんですよね。

大森今は一緒ですけど当時は違いまして、最初に会ったのは映画の現場でした。山崎の働いてたバーにもよく行ってました。

──4人とも不思議な巡り合わせですけど、必然的な出会いにも思えますね。

大森まぁ、似たような場所で呑んでいればだいたい知り合いになりますから(笑)。

──そんな経緯があって、月に吠える。が結成されたのが2014年の5月31日。

大森史朗とばったり会って呑んだ次の日くらいに史朗から連絡が来たんです。「バンドをやる話、覚えてます?」と言われて、「うん、うっすら…」と返事をして(笑)。それでスタジオに入ることになったんです。

──初ライブが2015年1月14日の月見ル君想フなので、準備期間を半年以上設けたことになりますね。

塚本そうですね。曲を作ったり練習したりしていたので。結成日の5月31日というのは、僕と南朋さんがバンド結成の正式な話をした日なんです。世田谷の下馬で(笑)。南朋さんのLINEを遡って調べてもらいました(笑)。

──バンド名は萩原朔太郎の詩集から引用したんですか。

大森そういうわけでもなく、単なる思い付きだったんです。そう言えば萩原朔太郎の詩集にそういうタイトルがあったなと後から気づいたくらいでして。仲良くさせてもらっている斉藤和義さんの「月光」という曲がすごく好きで、そのイメージもあったんだと思います。

バンドをやるほうが素の自分に近い

──月に吠える。の音楽性を端的に言えば、大森さんが影響を受けたストリート・スライダーズ直系の、ブルースを基調としたロックンロールですよね。

大森そうです。いわゆる中央線ロックみたいな感じで。この3人とならそれがやれると言うよりも、この3人に僕の趣味を押し付けたと言うか(笑)。

──PENICILLINの千聖さんのソロ・プロジェクト(Crack6)やAcid Black Cherryのサポートなどをやってきた長野さんからすると、月に吠える。のサウンドはだいぶ異質じゃないですか?

長野でも、僕も元を正せばロックですからね。昔はこういう音楽を聴いてたし、原点に返った感じはあります。

──山崎さんの原点も月に吠える。のような武骨なロックンロールだったんですか。

山崎そういうのが好きでしたね。そこから一時期、スタイル・カウンシルとかスティーリー・ダンといったAOR寄りのお洒落な音楽が好きになったんですけど。

──山崎さん、塚本さん、長野さんのお三方はめんたいロックのご当地出身ですが、その洗礼を受けた世代ではないですよね?

塚本先輩方とは今でも良くしていただいてますが、世代的にはちゃんと聴いてなかったかもです。

山崎この中でめんたいロックを一番好きなのは大森さんなんですよ。

大森そうだね。さっきこれ(『Rooftop』)を見て、ロッカーズは今またやってるんだな…と思いましたし。

──塚本さんはナンバーガールの少し下の世代ですよね。

塚本福岡のハートビートで対バンした記憶があります。田渕ひさ子さんは僕の1つ上で、ナンバーガールではないですか、椎名林檎さんが2つ下でした。

──月に吠える。のこの5年間を振り返ると、フル・アルバムとEPとミニ・アルバムをそれぞれ1枚ずつ、配信限定シングルを3作、会場限定でアナログ盤まで出していて、かなり順調に作品をリリースしてきたように感じますが。

大森順調だったのかなぁ…。役者の仕事の合間を縫ってレコーディングするのがけっこう大変でした。レコーディングの次の日に舞台の稽古があったりして。

塚本レコーディング中に台詞を覚えたりしてましたもんね。

大森ボーカルのブースから台詞を言うとみんなにウケるから(笑)。

──作曲はバンド名義が多いですが、作詞はすべて大森さんが手がけていますね。

大森曲はだいたいみんなでバーっと作るんですけど、たまに僕の弾き語りのデモを聴いてもらってアレンジをしていくケースもあります。

──歌詞は男のセンチメンタリズムやロマンティシズムを描きつつ、生きづらい世の中に対して投げかけをするようなフレーズも適度に盛り込まれていますね。

大森そうなんです。でもあまり投げかけをしすぎると、ライブを観に来る事務所の社長に怒られちゃうんです(笑)。

──月に吠える。のライブを拝見して個人的にいいなと思ったのは、ミドルエイジのいい大人がとても無邪気にバンドをやっていること、一緒に音を出すのが楽しくてたまらないという感じがこちらにも伝わることなんですよね。

大森そういうのが伝わるといいなと思いながらやっています。無様に見えないように頑張らなきゃって(笑)。

塚本中年っていうのがこのバンドのテーマのひとつですから(笑)。

──決して大森さんのワンマン・バンドではないし、3人が大森さんに無理に寄せている感じもないのがライブを観るとわかりますね。バンドとしての一体感も十二分に伝わりますし。

大森(長野に)馴染んできてる?

長野5年もやってきましたからね。バンドが目指す方向もわかってきたし、その中で自分の個性をどう出すかが今は面白いです。

──山崎さんはこのバンドにどんなスタンスで臨んでいますか。

山崎フロントの3人が面白いことをたくさんやってくれるので、僕はなるべくシンプルに、あまり余計なことをせずにいようと常に思っています。

──音自体はシンプルですけど、ギターを主体としてしっかりと鳴らすことに重きを置いているのが窺えますね。

大森ギターをちゃんと聴かせたいと最初から思っていましたので。やっぱりストーンズやスライダーズが好きなので。

──大森さんの中で俳優とバンドのバランスは等比だと思いますが、その棲み分けは自然とできているんですか。

大森わりと自然にできてます。バンドをやるほうが素の自分に近いです。芝居はどうしても自分とは違うものにならなければいけないのが強いので。CMで優しいお父さんを演じたり、舞台で凶暴なキャラクターを演じるのももちろん面白いですけど、バンドはロックが純粋に好きでギターを弾いていた中学の頃のままでいられるんです。

ちょっとダサいけど格好いいラインを狙う

──この5年の間にわりと早い段階で渋谷WWWでワンマンをやって、去年の秋には新宿BLAZEで最大規模のワンマンもやれているし、着実に動員を伸ばしていますよね。

大森どうなんですかねぇ…。いい歳なので、関係者を呼ぶ力だけはあるんですけど(笑)。純粋なファンをもっと増やしたいですし、若い人たちにも目を向けてもらいたい気持ちもあるんです。

──ここまで来れば、大森さんが片手間にやっているバンドとは思われなくなってきたのでは?

大森いまだに「バンドやってるんだ?」と言われることがありますけどね。ただ最近、綾野剛君、山田孝之君、内田朝陽君もバンドを始めたじゃないですか。俳優がバンドをやっているというニュースのおこぼれで「大森南朋もバンドをやっている」みたいな紹介記事があって、ラッキーだなと思いました(笑)。

塚本ありましたね。「アラフィフも音楽に取り組んでいます」って書かれてましたけど(笑)。

大森『コウノドリ』で共演した星野源ちゃんに「これ聴いてよ」と月に吠える。のCDを渡して、お返しにもらった源ちゃんのCDを見たら豪華ブックレット付きで、こっちが何か恥ずかしいものを出してるような気持ちになりました(笑)。でも源ちゃんは優しいから、ちゃんとCDを聴いてくれて「ロックスターみたいで格好良かったですよ」と言ってくれたんです。「やめてよー」なんて話を2人とも医者の格好でしてました(笑)。

──「センチメンタルブギー」、「ロマンチックブギー」、「さよならブギー」と、月に吠える。のレパートリーには〈ブギー〉の付いた曲が多いですが、バンドを語る上で重要なキーワードなんでしょうか。

大森単純にブギーが好きなんです。最初は連作にするつもりじゃなかったんですけど、シリーズにしようということで「ロマンチックブギー」を作ったんです。その後に「次のブギーは何にしよう?」といろんなタイトルを考えていたのに、いきなり「さよなら」になっちゃったんです(笑)。

塚本3作目にしてブギーにさよならしちゃった(笑)。

大森マーク・ボランがいっぱいブギーの曲を作っていたじゃないですか。T・レックスもすごく好きなので、その影響もありますね。スライダーズにも「マンネリブギ」という曲がありますし。

──「ロマンチックブギー」には最後にルースターズへのオマージュとも取れるフレーズがありますね。

大森九州であれをやったらウケるかなと思って(笑)。ルースターズは「レッツ・ロック」とかすごく好きなんです。うちの父(麿赤児)も出演していた石井聰亙(現・岳龍)監督の『爆裂都市BURST CITY』の挿入歌だったんですけど。

──月に吠える。の標榜する音楽は「オールドでヤングなロックンロール」という代表曲のタイトルの通りですか。

大森そうです。自分たちらしい何かいいワードがないかなと探していた時に思い付いたのが「オールドでヤングなロックンロール」で。ちょっとダサいけど格好いいラインを狙ってやってるんですけど、人によっては「大森南朋のバンドの曲のタイトルってなんか古くね?」とか言われたりするんです(笑)。こっちはわざとやってるんだけど、なかなか伝わらないみたいです。このご時世に「気まぐれジョニー」なんてタイトルをわざわざ付けるバンドもなかなかいないと思うんですけど(笑)。

──「気まぐれジョニー」の〈ジョニー〉はジョニー・サンダースのことなんですよね?

大森そうです。ジョニー・サンダースが使っていたのと同じギブソンのレスポール・ジュニアを買って、興奮して作った曲です(笑)。

──各自、この5年の中でとりわけ印象深かったこととはどんなことですか。

山崎僕は最近で言うならBLAZEのワンマンですね。いろんな人の力を借りて、あのステージに立てたので。

──桐谷健太さんの力も借りて(笑)。

大森ゲストにはいつも助けられてます(笑)。

山崎BLAZEの一番最後のアンコールで叩いてた時は自分でもゾクッとしたんですよ。今までいろんなことを積み重ねてきたなと思ったし、まだまだこの先を行きたいと思ったし。

塚本5年経って自分が実感してるのは、こうして月に吠える。のツアーを組んだりレコーディングしたりするのがとても充実してることですね。若い頃にやっていたバンドは自分が主導権を握っていたわけじゃなかったし、誰かに頼まれてギターを弾くのもあくまで部分的な仕事だったので。ただ変わってないなと思うのは、ライブの直前に友達から連絡が来て気持ちが集中できないことです(笑)。もう本番なのに「いま駅に着いたからゲストに入れといいて」とか言われて応対するのを、40歳を過ぎてもまだやっているという(笑)。

大森そういうのは全部スタッフがやってくれるものだと思ってたけど、全然そんなことないもんね(笑)。

塚本友達もプレイガイドでチケットを買ってくれたらいいんですけどね。動員は毎回気にするし、それもヒヤヒヤするけど楽しいですよ。

ドサ回りも宣伝もすべてDIYで楽しむ

大森僕はツアーを回るのが楽しいんです。4人だけで車で移動して、地方のラジオ番組に出たりして。自分は俳優としてはそれなりに名前が売れているので(笑)、地方の劇場へ舞台挨拶に行くと扱いがすごくいいんです。それがバンドになると急にショボくなるんです(笑)。ラジオ局へ行っても入口でずっと待たされたりして。自分ではその違いをけっこう楽しんでます。

──そういうドサ回りもこの4人なら楽しそうですね。

大森すごく楽しいです。僕はサービスエリアに寄るのが大好きだし(笑)。

塚本「ジャンボフランクないの?」とか言ってますからね(笑)。マネージャーも特にいないし、全部自分たち主導なので大変ですけど、今までわからなかったスタッフの大変さを知れましたね。打ち上げ会場を選ぶだけでも大変だし、行ったことのない所だから上手くたどり着けないし…。

大森全然ロック・バンドのインタビューらしくない話だね(笑)。まぁでも、いい歳してこんなことをやれてる幸せは実感してます。

──長野さんはどうですか。この5年で印象深かったこととは。

長野やっぱり『スッキリ』に出させてもらったことですかね。朝早く日テレに行って演奏させてもらって、そこから福岡へ移動したんですよ。

山崎そうだ、ツアーの合間だったもんね。

長野朝が早くて絶対に遅刻できないので、僕と史朗君は潤君の家に泊まらせてもらったんですよ。男3人、ひとつの部屋で一緒に寝て。

大森部活の合宿みたいだね(笑)。『スッキリ』に出た時は出演者の皆さんにCDを渡したんです。スタジオの出口で待ち構えて、加藤(浩次)さんたちに「よろしくお願いします!」って(笑)。

塚本若手バンドのように腰を低くして(笑)。

大森ジョー・ストラマーが晩年やっていたメスカレロスは全然売れてなくて、アメリカの地方を回った時におばちゃんから「あなた、ジョー・ストラマー?」って訊かれたことがあるんですよね。ジョーは「そうだよ」と答えて、チラシを渡して「今日ライブがあるから来てよ」と言うんですけど。僕はそのエピソードが大好きなんです。

塚本それに倣って、僕らも仙台や大阪でチラシを配ったんですよ。

──本当に何から何までDIYで活動しているんですね。

大森それがすごく楽しいんです。いいライブができた時、いい曲をかけた時ももちろん楽しいですし。これでもっとお客さんが増えたら申し分ないんですけど(笑)。もうちょっとバンドでテレビに出たほうがいいのかな?とか思ったりもして。

──大森さんの知名度ならやろうと思えばできますよね。でもそれは敢えてやらずに、バンドの力だけで何とかしたいのでは?

大森そうなんです。僕らが十代の頃、テレビに一切出てこない佐野元春さんが格好良く思えたりもしましたし。まぁでも、もうちょっと知られたいとは思います。興味を持ってアルバムを聴くなりライブを観るなりしてもらって、それで好きなり嫌いなりを言ってもらうのは全然構わないので。だから今は少しでも多くの人に知ってもらいたいです。何と言うか、芝居よりも音楽のほうがお客さんもハッキリしてるんです。ライブが良くなければ次のライブには来てもらえないですし、CDも売れないですし。

──新宿LOFTでの結成5周年記念ワンマンは『歌舞伎町インシデント』というタイトルですが、どんなインシデント=事件を起こそうと考えていますか。

大森歌舞伎町のど真ん中で一体どんな事件が起きるんだろう?という思いで付けたんですが、(長野に)どんな事件が起きると思いますか?いきなり司会になってますけど(笑)。

長野この日限りの何か面白いことはしたいですよね。

大森今までやってこなかったことをやりたいよね。(塚本に)どう考えてます?

塚本今までやってきたライブやツアーの集大成でありつつ、最近やってなかった曲をもう一度見つめ直したり、この4人全員で考えながら中身を詰めたいですね。ワンマンだからいつもと違って尺を伸ばしてもいいだろうし。いろんな人たちの手を借りながらいろんなことをやりたいです。

長野今までで一番いいライブにしたいですね。月に吠える。なりのライブの楽しさをぜひ知ってほしいです。

──今回はゲストに頼らずに4人だけでやり切る予定ですか。

大森いや、ゲストは考えてます(笑)。みんな雑誌の付録は好きじゃないですか(笑)。

塚本ワンマンはそういう楽しみもあっていいと思うんですよ。僕たちも刺激を受けるし。

憧れの新宿LOFTでライブをやれる喜び

──新宿LOFTの出演は先日の『ACTOR'S NIGHT 2019』が初めてでしたか。

大森『ACTOR'S NIGHT 2019』が初めてでした。(中村)獅童と仲野茂師匠の高樹町ミサイルズ、浅野(忠信)君のSODA!、田口トモロヲさんのLASTORDERZと共演できて楽しかったですよ。『アイデン&ティティ』や『USB』で共演した峯田(和伸)君もゲストで出てくれましたし。

──新宿LOFTにはどんなイメージを持っていますか。

大森僕らの世代にとっては伝説のライブハウスですよ。BOOWYもブルーハーツも出ていて。

塚本白と黒の市松模様の床がすごいインパクトでしたね。欲を言えば前の場所でライブをやってみたかったですけど。

山崎僕らは福岡だったので、知ってるライブハウスと言えばLOFTや磔磔、eggmanとかで、特にLOFTは憧れでした。

大森僕は中2くらいの頃に阿佐ヶ谷に住んでいて、自転車でLOFTを見に行くだけというナゾの行動をしたことがあります(笑)。「ここがLOFTかぁ…」って。その憧れのLOFTでライブをやれるなんて嬉しい限りです。

──結成5周年ということで、今年は新たな音源を発表する予定はありますか。

大森資金と時間がまとまらないのでまだ何とも言えませんけど、レコーディングは何曲かしています。歌を録ってないのもいくつかありますし。曲自体はすぐに出来ちゃうんです。「1週間のうちに2曲お願いします」と言われれば何とかしてしまいますし、今まで書き溜めていた曲もありますから。

──大森さんがいま唄ってみたいことはどんなことでしょう?

大森テレビやニュースを見て不満に思うこととかです。あとは何だろう、僕らの世代は疲れている人が多いので、元気になってもらえるようなこととか。

──直近の夢や目標はどんなことでしょうか。

大森大きい所でライブをやってみたいです。武道館と言わないまでも、野音とか。モッズみたいに雨が降ったりして。

山崎雨はむしろ降ってほしいですよね(笑)。

大森ライブに合わせて「激しい雨が」って新曲を作ってみたりして。

塚本なんか聞いたことのあるタイトルですけど(笑)。

山崎僕は武道館でやってみたいですけどね。ツアー・ファイナルで武道館。それも即完するところまで行きたいです。

──BLAZEのワンマンで大森さんが「武道館も夢じゃないね!」と話していましたよね。

大森すぐそういうことを言うんです。やっぱりヒット曲を出さなきゃダメかな?(笑)

塚本僕ももっとデカい所でライブをやってみたいですけど、時間をかけたレコーディングというのもやってみたいです。曲によっては4人以外の音を入れたりするのもいいだろうし。

──「夜の雲」でバイオリンをフィーチャーしたみたいに。

大森ああいうのをもっとやっていきたいです。キーボードやホーン・セクションを入れてみたりして。

長野そういうのは僕もやってみたいですね。

大森これまではこの4人だけでやれることを突き詰めてやってきたんですが、もうそろそろいいかなと思って。今はもっといろんなことをやりたいんです。引き算の発想で、史朗と僕だけでアコースティックの曲をやってみるのも面白いと思いますし。

──では最後に、月に吠える。の音楽にまだ触れたことのない人たちにメッセージをいただけますか。

大森ぜひライブを観に来てほしいです。あと、皆さんの耳に届くようにラジオとかにも出るように頑張るので、この4人のオジサンたちのことをちょっとでも気にかけてもらえたら嬉しいです。まだまだこれからイケイケドンドンで行きますので。イケイケドンドンって、その言い方がまず古いですけど(笑)。

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