「傷だらけの天使」と国電

黄緑一色の山手線。まさに「ザ・通勤電車」の貫禄十分だった

 平成が終わる3月末、ショーケンこと萩原健一さんが闘病の末、死去した。いきなりの訃報にあわてふためいた。小学生時代のわたしは「ザ・テンプターズ」が好きだった。特に「純愛」にほれ込んだ。ショーケンが、歌詞にある「腕に傷をつけて腕と腕を重ね…」のところでひざまずいて手首を交差する場面があり(あくまで記憶の範囲内だけど)、そこばかりをまねして歌っていたことを思い出す。

 「純愛」の意味も分からなかったが、ライバルだった「ザ・タイガース」の沢田研二さんより断然いかした年上の存在のショーケンが無性に好きだった。

 やがて俳優に軸足を移すようになり、ドラマ「傷だらけの天使」が自分の中で第2次ショーケンブームを巻き起こした。ショーケンと弟分のアキラこと水谷豊さんによるはみ出し野郎2人が所属の探偵事務所の依頼を受け、おおむね20万円程度の“大金”で命をも賭した危ない調査を請け負うのが主なストーリーだった。

 夢中になった。1970年代中期の青春期、ブラウン管での彼はやはり格好良かった。ショーケンの目、笑い、涙、優しさ、愛情、純粋さが各回で見事に表現されていた。探偵事務所とショーケンとのやり取りは、金にまつわりながらも実は金だけではない「はみ出し」だからこそ存在する個性と対峙する真剣勝負の世界があった。

 最終回。ショーケンが風邪をこじらせ死んだアキラを広大な新夢の島にリヤカーで運ぶシーンがあった。風で舞う大量のごみの中、ドラム缶に入ったアキラの遺体を置いて走り去る。そこが今はどんな風景と化したのか、知る人は少ないかもしれないが、70年代はこんな島が東京湾にあった。

 そして、忘れられないのは2人が生活していた代々木の古びたビルのペントハウス。いつも舞台はこの小汚い狭い空間から始まった。実際は「代々木会館」という今も残る(だろう)ビルだ。数年前、代々木駅近くのこのビルを訪問したときはまだあった。ただ、老朽化が激しくとても中には入れなかった。今も残っているのだろうか。

 ビルの屋上やさらにその上にあるペントハウスからいつも映っていたのが山手、総武、中央線の“国電”だった。103系。非冷房車も多かった。

 まだ色が路線を象徴していた時代、黄緑、黄色、橙色の車両はストーリーには直接無関係でも、多くの場面で姿を見せていた。代々木―新宿間の3線が合流する濃密な国電集合地点を走る電車はいつも物語のやかましさやうら寂しさを代弁するような役割を果たしていた。

 この線路に103系はもう走らないが、「傷だらけの天使」を思い起こすたびに屋上の柵越しやペントハウスの窓から見えていた103系も、物語の名脇役者だったと思っている。

 ☆共同通信 植村昌則

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