【特集】空手を性暴力被害者のPTSD治療に

フランスの施設で始まった試みに注目

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コンゴにあるパンジー病院の生徒たち(C)Fight For Dignity

 パリ近郊のサン・ドニ市。ここにある施設が今、注目を集めている。性暴力やドメスティックバイオレンス(DV)の被害にあった女性たちを支援する目的で設立された「女性の家」だ。この施設では2018年から空手の授業が行われており、世界空手道選手権大会の女子60キロ超級と団体を計3度制覇した経歴をもつフランス人女性ロランス・フィッシャーさんが指導している。

 なぜ、空手なのか。心的外傷後ストレス障害(PTSD)治療の一環として自発的治癒力を強化することが目的だ。そのため、授業は空手を中心とするものの、ヨガや呼吸法や瞑想(めいそう)も取り入れた独自のものになっている。

▼コンゴでの出会い

 では、「空手を性暴力PTSD治療に」というアイデアはいったいどのように生まれたのだろうか?

 ロランスさんは震災後のハイチや紛争が続くアフガニスタンなど世界各地で女性に空手を教えてきた。その中で決定的だったのは、コンゴ(旧ザイール)で性暴力被害女性の治療と救済に取り組み、昨年のノーベル平和賞に選ばれた産婦人科医のデニ・ムクウェゲ氏との出会いだったと言う。

 1996年から激化したコンゴ紛争とその後の不安定な情勢下では、レイプを始めとする性暴力が「戦争武器」として組織的に利用されている。具体的には集団でレイプするだけでなく、女性たちの性器を銃や刃物で破壊するなど、文字にするのもためらうほどひどいことが行われているのだ。ムクウェゲ氏は彼女たちを治療するためにコンゴ東部ブカブ市にパンジー病院を設立し今に至っている。

 この話を聞きショックを受けたロランスさんは、ムクウェゲ医師に患者たちのPTSD治療の一環として空手の授業を提案した。有名女性雑誌「ELLE(エル)」が創設した基金の資金提供を受け、2014年から3年間、コンゴとフランスを行き来した。

ロランス・フィッシャーさん(C)Fight For Dignity

 患者45人のうち20人が空手の授業に継続的に参加するようになった。フランスに家庭を持つロランスさんは、コンゴに長期滞在はできない。自分がいないときのために代わりの教師を育成し、患者たちが必ず毎週1回のレッスンを受けることができるようにした。

 2年が経過したころ、3人の生徒が「私も空手を教えられるようになりたい。退院したら、自分の村に帰って妹たちに、友人たちに空手を教えたい」と言い出した。空手は、レイプサバイバーである彼女たちの生きる動機、誇り、希望になった。

 その言葉にインスピレーションを受けたロランスさんは、すぐに動き始めた。そして、17年には暴力を受けた女性のPTSD治療の一環としての空手を世界中に広める団体「Fight For Dignity」=https://www.fightfordignity.net/=を設立した。

▼〝テリトリー〟を明示

 サン・ドニ市の「女性の家」は避妊や堕胎手術、女性器切除後の後遺症治療はもちろんのこと、レイプや身体的・精神的暴力によって尊厳を奪われた女性たちをケアする場所だ。医師や助産師、サイコテラピスト、社会福祉士、マッサージ師が集まり、必要に応じて無料で診療を受けることができる。

 私も「女性の家」での授業に参加させてもらった。色鮮やかな壁に、さんさんと陽光が差し込むロビー。道場として使用される大部屋の壁には、ポーランド出身の革命家でドイツ共産党の創設者でもあるローザ・ルクセンブルクや「第二の性」などの著書で知られるフランスの作家・哲学者のシモーヌ・ド・ボーボワールなど女性の権利のために戦った人々の似顔絵が連なる。

 その前に集まったのは、まだ幼さが残る学生らしい女性から白髪の初老の女性まで、そしてアフリカからの移民らしきまだフランス語が拙い人も含めて十数人のクラスだ。

「女性の家」での授業(C)Fight For Dignity

 まずは真っ白な空手着を着てウオーミングアップ。そして正拳突きの練習だ。最初は一人ずつで、次は2人組で防具をつけて思いっきり突く。「相手の目を直視して!」と声が飛んでくる。「同時に相手に痛い思いをさせていないか、ちゃんと聞いてね。空手も人間関係の一つの形だよ」と、パートナーを思いやることも忘れない。

 「終わり」、「正座」、「一、二、三」と、勢いよく日本語が飛び交う中、基本の型である「大極初段」に挑戦してみる。

 「自分のテリトリーを相手にはっきり示して!」「腹に力を入れて思いっきり気合を入れてごらん。自信が出るよ」―。そんなアドバイスを受けながら、懸命に体を動かす。

 ロランスさんは生徒たちを励ますことを忘れない。遅れてきた生徒にも、「大変だったでしょう。来てくれてうれしい! 急がなくてもいいよ」と声をかける。「ええ!! 空手のクラスで遅れてくるのもありなの?」。驚いていると、ロランスさんがこう話してくれた。「暴力を受けた女性たちにとっては、朝起きて、服を着て、外に出てここまで来る、それだけでもう大変なことなのよ。だからとにかくここまで来ただけでよく頑張ったねって言ってあげたい。彼女たちに必要なのは、まずは暖かく見守ってくれる人の存在だから」

 指導の中で特に力を入れているのは、骨盤底筋肉の強化だそうだ。感知しにくい筋肉だが、四つんばいになって呼吸法を正しく使うとはっきり筋肉の収縮がわかる。「命が宿る場所だから大切にすることを教えたい。でも残酷なレイプを受けて骨盤底筋肉が破壊され尿失禁になってしまう女性もいる。コンゴでは、そういう女性は村に帰っても疎外されてしまうこともあるのよ」と顔を曇らせた。

▼世界中に広めたい

 ロランスさんは、空手を性暴力PTSD治療に適応するためには、科学的研究からの視点も必要だと考えた。そこで、現在、ストラスブール大のスポーツ・社会科学科の研究者や被害者研究を専門とする心理学者ら数人と協力して、このメソッドをさらに効果的なものにしていくための研究を進めている。「女性の家」で空手のクラスに参加する女性8人と、参加しない女性8人の治癒経過を比較し、その結果を来年の1月には書籍として出版する予定だ。そして、それに沿って、PTSDや暴力、被害者心理に関する豊富な知識を備えた空手教師を育成し、世界に広げようと考えている。空手の国、日本にも、何か協力できることはないだろうか?(パリ在住ジャーナリスト プラド夏樹=共同通信特約)

コンゴ東部のブカブで指導するロランスさんにて(C)Fight For Dignity