宇陀を駆けた人々(14)-高山右近(うこん)篇2-

奈良県宇陀市 広報うだ2019年5月号

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右近の受洗

澤氏は伊那佐山から南東にのびる標高約538mの山頂を中心に山城(澤城)を築きました。また、麓の集落内には、澤氏などの居館(下城)などがありました。
高山友照(ともてる)(右近の父)が城主になってからの澤城の様子は、ポルトガルの宣教師・ルイス=フロイスの『日本史』から知ることができます。その一部を要約してご紹介しましょう。
「澤城は高い山の上にあり、遠くまで眺望でき、城内には、知照(別名:図書(ずしょ))の妻子や約300人の兵たちが住んでいる。小さな砦には、長さ20メートル弱、幅7メートル余りの教会が建てられており、中には礼拝堂・香部屋・宣教師の宿泊部屋・従者の間などの施設がある。これらは、杉材造りで、たいそう良く出来ている。城主の友照は、毎朝、この教会で熱心に礼拝を行っている。
一方、伊賀へと逃れた澤氏は、澤城を奪還しよう企てており、澤城では、昼夜不断の用心深い見張りがなされており、城門も設けられている。」などとあります。教会は、本丸に近い所に建てられたのでしょう。
永禄7年(1564)、友照は、宣教師を澤城に招き、右近をはじめとする家族、家臣ら150人がキリスト教の洗礼を受けました(永禄6年説もあります)。この時、右近には、ポルトガル語で、「正義の人、義の人」を意味する「ジュスト」(ラテン語ではユスト)という洗礼名が与えられました。友照の信仰がこれからの右近の人生に大きく影響します。
当時の世界地図(東アジア図など)には、近畿・中国・四国・九州地方が描かれ、近畿には「Sawa」(澤)という地名が記されています。友照・右近らのキリスト教の信仰が大変熱心だったので、宣教師たちも注目したのでしょう。

文・柳澤一宏(文化財課)