ブラックホール撮影 導いた技 川崎・エレックス工業

エレックス工業の研究室。「ここからブラックホールの撮影に活用された機器も生み出された」と説明する内藤社長(右)とシニア・エンジニアの小関さん。

 4月に国際研究チームが成果を公表したブラックホールの撮影に、多大な貢献を果たした電子機器開発・製造会社が川崎市高津区にある。従業員34人の中小企業ながら、国立天文台とともに電波天文観測の分野を切り開き、撮影で鍵となる装置を開発した。ノーベル賞級ともたたえられる快挙を社員らは喜びつつ、「宇宙の起源の謎に迫っていきたい」とさらなる技術開発を誓う。

 科学史に残る偉業に寄与したのは「エレックス工業」。内藤岳史社長は「壮大な観測に関わり、私たちの地味な仕事が注目されてうれしい」と語る。観測そのものは2年前に終わっていたが、「当然ながら映像は極秘情報。私たちもいつ公表されるのかと待っていた」と明かす。

 今回映像として捉えられたのは、M87銀河にある超巨大ブラックホールだ。地球から5500万光年離れており、例えるなら月面に置いたゴルフボールを地球上から眺めるのとほぼ同じ状況という。

 電波望遠鏡は口径が大きいほど解像度は高くなるが、一つの望遠鏡の口径には限度がある。今回のプロジェクトでは、複数の電波望遠鏡をつないで観測する「超長基線電波干渉計(VLBI)」という手法を使って、その壁を突破。南米・チリのアルマ望遠鏡を中心に世界各地の電波望遠鏡を結び、直径1万キロに相当する「地球サイズ」の仮想的な望遠鏡を作り出すことで撮影に成功した。

 同社は、標高5千メートルの高地にあるアルマ望遠鏡のアンテナ群から、山麓施設に膨大なデータを高速で送る光ファイバーの伝送装置を開発。VLBIシステムには欠かせない装置で、これまで国立天文台とともに国内やアジア圏で同システム構築に関わってきた経験を生かした。

 観測時はアルマ望遠鏡の自然環境に四苦八苦した。日本でテストを重ねて臨んだが、現地では送信エラーが続いた。砂漠と同じ環境の現地は風が吹き荒れ、施設内に入り込んだ微細な砂ぼこりが、光の強弱でデータを伝える通信に影響を与えていたことを突き止めるのに半年を費やした。

 同社でプロジェクトリーダーを務めた原田健一さん(45)は「現地の技術者らと何度もやりとりして原因を探った。結果が出せて感無量」と振り返る。

 同社はもともと電子機器と通信分野の会社で、天文分野は門外漢だった。転機となったのは、1983年に行われた日本とハワイ間の超精密な距離を測定する日米共同研究だ。研究に参画した同社は、日米の電波望遠鏡のデータを相関させる機器を国産として初めて実用化。調査の結果、太平洋プレートの移動により、ハワイ諸島が年間数センチずつ日本に近づいているとのニュースも報じられた。

 「ハワイとの距離測定は先代の頃の話。その後もノウハウを蓄積していった」と内藤社長は回顧。一つの研究を契機に、宇宙に傾倒していった同社の歩みは、ロケット開発に挑む中小企業を描いた小説「下町ロケット」をほうふつとさせる。

 同社技術部でVLBIシステムの開発に長く携わってきたシニア・エンジニアの小関研介さん(55)は「国立天文台の要求にしっかりと応えられる仕事をしてきた」と技術者の自負をにじませた。内藤社長は「天文学者たちから無理難題を出されるが、私たちはオタク集団なのでチャレンジしてしまう。今後も技術で貢献したい」と笑う。

 今回の国際プロジェクトで日本研究チームの代表を務めた国立天文台の本間希樹教授(47)は「エレックス工業の装置がなければ観測は成り立たなかった。電波望遠鏡での観測で長年作業してきた経験と信頼関係がある。私たちが望む一点ものの機器を柔軟に製作してくれ、本当にありがたい」と話した。

© 株式会社神奈川新聞社