薩長同盟で密談?の茶室、解体前に現存判明 大久保利通旧邸跡

©株式会社京都新聞社

大久保利通旧邸の敷地内に残る茶室の内部(5月9日、原田良子さん撮影)

 京都市上京区で解体工事中の住宅敷地内に、大久保利通の茶室「有待庵」が現存していたことが13日までに分かった。同地は1866(慶応2)年から68(明治元)年まで利通が使っていた旧邸跡に当たり、茶室は薩長同盟が結ばれた小松帯刀(たてわき)の邸宅「御花畑(おはなばたけ)」から移築されたと伝わる。解体を知った歴史研究者原田良子さん(52)=中京区=が「保存や移築は難しくても、せめて記録だけでも残せないか」と、所有者や行政に働きかけている。

 利通の三男利武氏の講演録「有待庵を繞(めぐ)る維新史談」(1942年)によると、利通は帯刀が邸宅を手放す際に茶室を譲り受け、人目を忍んで密談に使える場所として敷地の奥に移設した、という。講演録には「薩長連合の密談の際に用いられたものが、所変わりて、その後もこのまた、幾多重要なる国事の密談用に供せられたのは実に珍しい」と記されている。戦前までは幕末史跡として公開されていた記録も残る。

 原田さんは「御花畑」が現在の上京区森之木町にあったと突き止めるなど、幕末史に詳しい民間研究者。茶室は一般の人に見えない位置にあったため、存在は長く不明だったが、数日前たまたま旧邸前を通りかかり、工事現場の奥に茶室があることを確認したという。昭和初期に撮影された「有待庵」の写真と比較し、「炉や畳、障子の位置関係などは写真と一致する。基本的な構造は移築当時のものと考えられる」と結論づけた。

 造形的な美しさや希少性で評価する文化財の指定や登録を受けていないものの、歴史の舞台として重要な史跡。原田さんは「幕末ファンにとっては聖地で、誰も知らぬ間に消えるのは忍びない」と、所有者の女性(69)に連絡を取って映像など記録保存の可能性を探っている。行政にも経緯を説明したところ、近く京都市の文化財担当者が現地を確認する予定という。

 所有者の女性は「事前に行政に相談したけれど、問題ないと言われ、工事を進めていた。歴史的な重要性は理解できるので、調査や記録にはできるだけ協力したい」と話している。