「足は生えてこなかった」 補償法求める空襲被災者の思い

議員会館前で補償を求める「全国空襲被害者連絡協議会」の会員たち。左が安野輝子さん=2019年5月16日

 1945年7月16日、米軍の投下した爆弾の破片に左脚の膝から下を奪われた。6歳になったばかりだった。トカゲのしっぽのようには、足は生えてこなかった。

 あれから74年、義足と松葉づえをたよりに生きてきた。痛みと不自由をみちづれに。

 今年4月、鹿児島県薩摩川内市で空襲に遭い、左脚の半分を失った安野輝子さん(79)=堺市=が共同通信に送った文章の書き出しだ。空襲被災者への補償法案がなかなか国会に提出されないことへの焦りといらだち―。題名は「7月16日は74回目の足の命日だ!」と記されていた。

 「昨年の冬、仲間の男性が思いを残して亡くなった。機銃掃射に撃たれた脚を、最後まで引きずっていた。残っている人も高齢で健康状態も悪い」。そう話す安野さん自身も、毎年参加していた3月の「全国空襲被害者連絡協議会」(空襲連)の集会に、今年は体調を崩して出席できなかった。

 ▽この国が起こした戦争の犠牲者

 文章はこう続く。

 私だけではない。空襲被災者は焼夷弾(しょういだん)や爆弾で焼き殺された人、親兄弟を焼かれて孤児になった人、手足を焼かれ、顔、体中ケロイドで職にも就けなかった人、戦争の恐怖で発症した精神のおさまらない人、今も苦しみ続けている。ほとんどが年端もいかない時、空襲に遭い苦しみながら生きて来た人たちだ。

 この国が起こした戦争の犠牲者だが、この人たちには、謝罪も補償もない。

 国は戦後、元軍人・軍属には、50兆円を超える援護をしてきたのとは対照的だ。この国土も戦場だったのだが。

 戦後、誰もが平たんな道ではなかった空襲被災者を、この国はなぜ救済しないのだろうか。

 欧米諸国では、60年も前から民間人への補償を行っているが、この日本になぜできないのだろうか。

 

安野輝子さん=2019年1月、大阪市

 東京や名古屋、大阪の空襲被災者は、国の補償を求めて訴訟も起こした。しかし「戦争損害は国民が等しく我慢すべきもの」とする「受忍論」や、「国会が立法を通じて解決すべき問題」などの理由ではね返されてきた。

 国会の動きはどうか。空襲連の長年の要望を受けて2017年、超党派の「空襲議連」が、身体障害やケロイドが残った人に限って1人50万円の一時金を支給し、戦災孤児の実態調査をする補償法案の要綱案をまとめた。しかし、国会の混乱や衆院解散などの影響で、提出には至っていない。

 ▽壁は厚い

 今国会の会期末は6月26日。それまでに何とか法案をまとめ、提出し、成立させてほしい―。空襲被災者らの悲願だ。 「戦争の後始末は済んでいない」。空襲被災者らは4月以降、議員会館前で救済法の制定を訴える活動を行っている。16日、手作りの防空頭巾をかぶって参加した空襲連事務局次長の河合節子さん(80)=千葉市=は「居ても立ってもいられない気持ち。少なくとも国会の会期末までは続けたい」

防空頭巾をかぶって空襲被災者への補償を訴える河合節子さん=2019年5月16日

 また、それぞれの地元の与党議員に対し、空襲議連への参加と要綱案への賛同を求めている。

 空襲議連幹部の与党議員は4月末、取材に対し、救済には精神障害者も含めるべきだとの意見が一部党派から出ており、議論がまとまっていないとして「今国会では難しい」と打ち明けた。

 空襲連運営委員長の黒岩哲彦弁護士は「壁は厚いだろうが、議連の動きに期待したい」と話す。

 ▽「犠牲者1割」の朝鮮人

 安野さんが、長年気に掛けている人たちがいる。薩摩川内市の自宅が空襲で焼けたとき、朝鮮人が多く住んでいた近所の集落も全焼した。「私も彼らも、国に見捨てられ、放置されてきた存在だ」と語る。補償法成立を願う被災者は日本人だけではない。

 東京大空襲から74年となる3月、犠牲者約10万人のうち1割を占めるとの指摘もある朝鮮人の追悼会が、東京都墨田区の都慰霊堂で開かれた。「東京朝鮮人強制連行真相調査団」などの主催で約100人が参加した。

 大空襲で妹2人や親族、知人を亡くしたという金栄春(キム・ヨンチュン)さん(84)が体験を語り、「空襲は人災であり戦争犯罪だが、朝鮮人犠牲者追悼会には政府や都知事の参加もない。私の恨みはいまだ晴らされていない」と、朝鮮人犠牲者の実態究明を求めた。

 調査団の事務局長を務め、昨年死去した故李一満(リ・イルマン)さんは論文で、当時下町に在住していた朝鮮人の人口や戦災名簿などから、約1万人が亡くなったと推定している。

 安野さんの文章は次のように締めくくられている。

 空襲被災者は、年々少なくなっている。生きる日は、あとわずかとなってきた。

 国は、空襲被災者が死に絶えるのを待っていないで、命ある間に、苦しみに見合った、謝罪と補償を行うべきだ。

 苦しみを背負わせたまま、何事もなかったかのように、終わらせてはあまりにも非情だ。

 新しい時代をひらいていく前に、先の戦争の後始末をきちんとして進んでほしい。

 愚かな戦争に巻き込まれて、苦しみの人生を強いられて逝った人を、再び生まないためにも。

東京大空襲の朝鮮人犠牲者の追悼会で黙とうする参加者=2019年3月16日午後、東京都墨田区の都慰霊堂

 (共同通信=社会部・角南圭祐、小川美沙)

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